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せち日記 (2003年01月分)

2003年01月02日

謹賀新年

目にはさやかにみえねども... (ってそりゃ秋の句だ!)

明けましておめでとうございます。 なんかタラタラやってるうちに年が明けてしまいました。 今年は氏神様への初詣もなしです。 だからお年玉もなしね。 あぁ今年という年を暗示するような... とほほ。

今年は火星の年

というわけでみました。 「火星はぼくらの惑星だ!」 の再放送。 うちはBS見れないので (アンテナはあるらしいんだけどTVが古い機種なのでBS見れないのよ), 今回が初めて。

ん〜, 久々に良質なエンターテインメントを観たって感じ。 松本零士さん原作のアニメが (私らの世代には) 懐かしい雰囲気で泣ける。 内容的には 「MARS BRAT」 の方が面白かったけど。 やればできるんぢゃん, NHK。 最近は なんとかX みたいな下品で押しつけがましいドキュメンタリ風 (または教養番組風) バラエティが多いから実はあまり期待してなかったのだ。 それとも有能なスタッフはBSとかハイビジョンに移っちゃって地上波には 「残りもの」 しかいないとか (^^;)

今回の2作品が SF としてどうなのかは知らないけど (知るつもりもないけど), 今も昔も 「未来をビジョンとして示せる」 のが SF の負っている役割のひとつだと思う。 ある目標を立てそれを遂行するためには, 目標達成時に得られるものをビジョンとして明確に示し, かつ目標に至るまでのマイルストーンを設定する事が不可欠だ。 ビジョンがなければ, 日本の公共事業のように, 迷走した揚げ句に誰も望まないモノが完成するか最悪の場合中断せざるをえなくなるのがオチである。 これはどの分野でも同じだと思うけど, こと科学技術に関してはビジョンを示す道具立てとしての SF の役割は大きいと思う。 また SF ファン以外の人が (あえてそう限定するが) SF という文学ジャンルに期待するのもそういう部分ではないだろうか。 もっとも以前そういう議論もどきが 野尻ボード であったが, 野尻抱介さんによって明快に否定されたけどね。(故に議論にならなかった)

「火星はぼくらの惑星だ!」 は (バラエティの能天気さとは違う) 楽天的な雰囲気に満ちていて今時珍しい番組だ。 SF 的な想像力というのはきっと誰にでも簡単にできるというものじゃなくてある種の訓練によって習得する 「技能」 だと思うのだが, この 「想像力」 は現実の問題を合理的に解決するのにも必要な 「力」 だ。 この番組ではそれを子供にやらせてみせることによって手の内 (の一部) を披露している。 それが私が 「良質なエンターテインメント」 と感じた理由なのかもしれない。 単に 「SF っぽい要素」 をマスターベーションのように消費するだけではこの力は永遠に習得できないだろう。

てなとこで 「そういやスウィングバイはどうなったっけ」 と思って (忘れてたんかい!) 「今はどこ?」 を見てみたら順調のようである。 つぎのスウィングバイは約半年後だ。

2003年01月05日

Vector アクセス不能

昨夜深夜から何故か Vector のサイトへの ftp アクセスができなくなってしまった。 ドキュメントや日記の更新ができんぢゃないか。 ひょっとして私はもうあそこ使っちゃいけないとか? なぁんも悪いことしてないと思うけど。

というわけで一応こっちに告知しておきます。 私の公開鍵を更新しました。 どういうわけか JPNIC の鍵サーバも使えないため, MIT の鍵サーバOpenKeyServer の2箇所に登録してます。 同期が完了すればそのうちあちこちで取れるようになると思います。

今使っている鍵については来年1/4までの有効期限を設定しました。 また今使っている鍵とは別に署名専用鍵 (まぁハンコで言えば実印みたいなものと思ってください) を作って登録しています。 こっちは2006年初までの有効期限を設定しました。 公開するソフトやドキュメントへの署名は今後署名専用鍵で行う予定です。 両鍵とも spiegel@alles.or.jp をキーワードに検索すれば (運がよければ) 見つかります。

Vector へは問い合わせのメールを出してるけど, 年末年始だからなぁ。 しかし全く音沙汰がないようなら見限って他所のサービス (Tripod とか 使えるねっと とか) へ移行するので, 皆さんよろしく。

(追記1/7: 回答をいただき無事に接続できました。 署名専用鍵作成にまつわる顛末について興味がおありでしたらあちらの記事までどうぞ)

ハロウィーン文書最新版

「第8のハロウィーン文書」

公官庁や大企業が OpenOffice を採用していただけると大変ありがたいのですけどねぇ。 最近の OpenOffice はかなり出来が良くなってきていて, 既にマニュアル本なんかも出まわっている。 Windows 版もあるので Linux に乗り換える必要もない。 これを使うと今まで一太郎や MS-Office に安くもない金を払っていたのがバカらしくなる。 (もちろん OpenOffice は突然出てきたものではなく Sun の 対 MS 戦略の一環であると考えるべき。 もっとも現在はその思惑を大きく超えている感じもするが)

ハロウィーン VII までは 山形浩生さんの日本語訳があるのでお楽しみあれ。 ハロウィーン文書はアンチ MS な方には格好のネタになってるらしいが, 私から見れば 「MS もまた普通の企業なんだなぁ」 と実感させられる文書である。

2003年01月08日

買った本,これから出る本

昨年のうちに買った本:

まるぼし幻の作品」 とまで言われている作品。 いや KC 版はちゃんと持ってるんだけどね。 2巻目の表紙は当時連載2回目で没になった扉絵。 KC版ではカバーの折り返しに描かれている絵ですな。 連載時の体裁に復元されているらしいのでKC版と見比べると面白い。 何と先月買ったコミックスはこれっきり。 こまったもんだぁ。

今月末に 『網状言論F改 ポストモダン・オタク・セクシュアリティ』 が出るらしい。 つまり今月中に 『コモンズ』 を読了しておく必要がある。 (でないと積ん読になっちゃう)

『コモンズ』への日本人向け解説

「勝手につける『コモンズ』への解説」

面白い! 素晴らしい! こんな解説を待っていた。 いや, もちろん解説内容の全てに賛同するわけではないけど, そもそもこういうコンテンツ自体日本語圏では皆無なのだ。

『CODE』 でもそうだったが 『コモンズ』 も (頭では理解したつもりでいるのに) 何か釈然としないものがある。 この疑問に上記コンテンツは明快に答えている。 すなわち 「レッシグ先生が一生懸命いろんな事例を挙げながら説明しようとしていても、 日本の読者にはそれらの事例がかえって目眩ましになってしまっている」 ということである。 (まぁ私の頭が悪いせいもあるけど)

是非この解説を (リンク先も含めて) 読んでもう一度 『コモンズ』 を読み返すべきだ。 私もそうする。 何とか今月中に...

「消費者」とは

私は 「消費」 もしくは 「消費者」 という言い回しをかなり意図的に使っている。 特にここの日記ではそうだ。 そして 「消費者」 に対する言い回しとして 「ユーザ」 とか 「利用者」 という言葉を使っている。 この違いは喩えるなら 「消費者=レセプター」 で 「ユーザ=アクセプター」 といったところだろうか。 「消費者はもっと賢くなければならない」 とは私が子供のころから使い古された言わば標語みたいなものだが, 「人」 が消費者として振舞う限り永遠に賢くはなれないのではないかという気がしている。 そして今の過剰な商業主義の中では, 「人」 を 「ユーザ」 ではなく 「消費者」 のうちに留めておこうとする強力な圧力を感じるのだ。 例えばあからさまなマッチポンプを演じるコマーシャルメッセージ。 あるいは下品で押しつけがましい説教番組。 そして政府・官僚までもがこれらに荷担する

私が今書いていることは妄想かもしれない。 しかし, もしこれが妄想でないのなら日本は絶望の淵にいる。 (って,ああああ。 また古いマンガのネタを使ってしまった)

2003年01月10日

ビンボーをこじらせてます

仕事が全くないのならともかく, 一応やってるんだし約束通りにちゃんと月初めに金をくれ! > 勤務先の上司

久々に赤貧状態を味わってます。 医者にも行けません。 米びつのお米が無くなればアウトです。 もし広島市内で四十路前の独身男性が餓死したニュースが流れたら, きっとそれは私のことでしょう。

大手メーカから spam が来る

Tea Room for Conference の記事より。 マイクロソフトの仕様では 「知人にこのページを紹介する」 の機能を使って spam メールを送れるらしい。 大手メーカのお墨付き紹介は大きいねぇ。 この手の機能は他のサイトにも結構ある。 踏み台がたくさん。

レッシグ教授関連記事

流行なのか。 それとも私のアンテナがそっち方面に向いてるだけなのか。 まぁでも, 『コモンズ』 がきっかけになるのなら結構な話。

しかし世の中には 自分の商売のヘタっぷりを他者のコピー行為のせいにする輩もいるので油断ならん。 まぁ (市場に流通している) 音楽が 「癒しや励ましを与える」 商品 (ドラッグ) に過ぎないと (それはつまり購買者を単なる 「消費者」 と見なしてると) 告白しているのはよしとするが。 (1/11 追記)

MultiSeti 1.18

リリースされてます。 RAMドライブで運用されている方には朗報かも。

2003年01月11日

ブラックホールはいなかった (かも)

「東京大学の GRAPE-6 によるシミュレーション、新種ブラックホールの発見を否定する結果に」

どうやら計算違いだったようで, まぁ人間のやることだからよくあること。 で, そこが科学の面白いところ。 しかし (コンピュータを含めた) 道具ってのはスペックより実績なんだなぁ, とつくづく思う。 昨年は地球シミュレータが話題を独占した感じだが, やっぱりこうやって成果が出てくると違うよね。

(1/12 追記: 野尻ボードに経緯が載ってる。 発表のお膳立てをしたのは NASA 側だそうな)

2003年01月13日

ツッコミを入れるほどではないので独り言

確かに野尻抱介さんのおっしゃるように, 俺ニュースにある 「花を持たせてくれた」 という記述は言い過ぎの感はあるが, 伝言ゲームにありがちな変形なので許容範囲かと。(マスコミがよくやる意図的な誤報に比べれば可愛いもの) それに俺ニュースの場合は元ネタになるページがちゃんと指示されているので誤解が拡大することもあるまい。

逆に野尻ボードの 「間違いを認める当然の態度」 という記述の方が私には気になる。 研究者同士のやりとりなんだから, こんなのは本来なら論文上で闘えばすむことである。 実際に 牧野助教授の公開日記 (1/11) に書かれている内容を見ても途中まではそういう感じだったようである。 それが向こうから 「共同でプレスリリース」 を持ちかけられたということは, 当然そこに 「政治的配慮」 があったと見なすべきだろう。 論文上のやり取りを見ていないマスコミ等に後でぐだぐだ言われるよりは先に 「共同で」 発表しちまった方がリスク (特に信用リスク) が少ないという判断である。

私は今回の発表そのものよりも NASA の判断力と手際のよさ (いや,まぁ,クリスマス休暇などで発表が遅れたらしいが) をこそ評価したい。 特に NASA は単なる研究・開発組織じゃないしね。 日本の政府・官僚も (真のリスクを見抜く目を) 見習って欲しいものである。

何が「国益」なのか

「米国中心型のグローバライゼーションに抗う為の智恵」

上記の話にも絡むが今の日本のダメぶりはリスクの判断・管理の軸が完全に狂っていることが原因だと思える。 「国益」 という軸がないのだから, 判断が商業主義や官僚の既得権を保護する方向に偏ってしまうのはむしろ必然といえる。 あるいはせっかくのチャンスも感情に流してしまい結果的に米朝の喧嘩腰のやり取りをオロオロと横で見ているだけというマヌケな構図になってしまう。 (その点ロシアや韓国は賢いよねぇ)

イデオロギーを排除しても依然として 「国益」 はある。 っていうか, イデオロギーは 「国益」 を正当化するための手段に過ぎなかったというべきか。 いい加減何とかしないと, このままでは米国の 「弾よけ」 にされるぜ。 (まっ今でも米国にとって日本の役割は単なる弾よけだけどさ)

2003年01月15日

闘病日記 ...お高め

降圧剤が効いてるのか少しずつ血圧が下がりはじめている。 それでも上が145 (下は86)。 次回は久し振りの超音波だ。 嫌いじゃないけどあのグリグリがなぁ...

もうみんな忘れてるのかと思った「ゲーム脳」

「斎藤環氏に聞く ゲーム脳の恐怖」

3回シリーズ。 本が出るより先にマスコミで話題になっていたので売り込みキャンペーンだろうと言われていたが, まさかたっかい脳波計もどきを売り込むためだったとは。 やるなぁ。 無視して忘れてたんだがマジに読んでみようかな。 でも買うのはイヤだな。 図書館とかに置いてないかなぁ。 トンデモ本だし置いてないかも。

しかし今更こんな批評や解説が出るってことは, 世間じゃそれなりに話題になってるのかなぁ

2003年01月16日

どうやって説明すんだ?

「進化とイオンすらない日本の教科書」

「イオン」 の概念なしでどうやって教えるんだ。 そっちの方がよっぽど難しくないか? 足し算を使わずにかけ算を教えるようなものだぞ。

このスレッド内のコメントにあるが 「少なくとも中学では理科は「暗記科目」とみなされてい」 るらしい。 道理で理系学生の質が落ちるワケである。 いったい何を暗記する必要があるのだろう。 これまたナゾだ。 試験で周期表の暗誦でもさせられるのかな。 周期表ってのはあの形に意味があるのであって元素を暗記したところで大した意味はない。(どうせ忘れちまうんだし) まぁあれは一種のクロスワードパズルみたいなものなので, パズルのピースを憶えておけばゲームとしては有利になるか。

今の学校教育って何か (学問とか将来の人材育成とか) の役に立ってるのかな。 本気で科学を勉強したいなら学校や教科書なんか捨てて図書館とか近所の施設にでも通ったほうがよくないか。 まぁ私も小中高と教科書で勉強した覚えはあまりないんだけど。 参考書 (学習参考書じゃないよ) とか解説書とか専門書とかの方が100倍は面白いよね。

銀河と銀河の間にあるもの

「銀河と銀河との間に孤立した星形成領域を発見」

面白い。 またこれで宇宙のイメージがちょっと変わってくるよね。

2003年01月18日

寒い絵

μ-LabSat撮影画像。 キレイだが寒そう。 冬の寒い時期に 「冬型の気圧配置」 なんか見たら余計に寒くなる。

SPP とやら

「サイエンス・パートナーシップ・プログラムについて」

文部科学省による 「科学技術・理科大好きプラン」 なるものがあるらしい。 例の超科学高校もその一環だそうな。 「青少年をはじめとする国民の「科学技術離れ」「理科離れ」」 が 「憂慮すべき状況」 だと自覚しているのにもかかわらず箱物で誤魔化そうとしたりへな猪口な教科書を作ってみたり。 いかにも日本らしい。 SPP はある意味日本の学校教育に止どめを刺すプランなのかも知らん。 「(教科) 書を捨てよ。 街に出よう」 ってか。

2003年01月21日

悪党列伝 (ってボルヘスじゃないよ)

「イスラムとの戦争か?」

Pervez Hoodbhoy 教授の最新テキスト。 いや, こうやって米国がやったことを列挙すると改めてとんでもない国だなという気が... 半世紀の間に百万単位で人を殺してる国はそうそうないんじゃないだろうか。 (1/23 追記: (「ChangeLog で Web 日記」 1/22 より) 20世紀の大虐殺ワースト20)

でもこのテキストの凄いところはそういう部分ではない。 ムスリムの同胞に向けて書かれているようにみえるが実はそうではない。 是非日本の政治家の皆さんにも読んでいただきたいな。 如何に日本が無策でマヌケな国かということがよく分かるだろう。 前に紹介した宮台真司さんのテキストも併せてどうぞ。(米国における銃と犯罪の関係もこれを読むまで知らなかった。 無知でスマン) まぁ日本は小泉首相のロシア訪問を以って事実上北朝鮮問題を放棄してしまったワケだからこれ以上何も言うことはできないだろうけど。 できるのはせいぜい関係各国へのロビー (と言って悪ければ陳情) 活動ぐらい。 これが外交だというのだから笑わせる。

2003年01月23日

のだ博士の進化論講座

野尻ボードの記事より。 野田令子さんの1/6 以降の一連の記事。 中立説は知らなかったなぁ。 私も生物学の知識は高校時代でほぼ止まってるので (大学で生化学はちょっと習ったような), これら一連の記事は勉強になりました。

相対化

「SF者」 の言う胡散くさい単語ワースト3のひとつ。 相対化された視点を与えてくれるのは別にSFだけの特権じゃない。 純文学だってファンタジー (今時のファンタジーは除外) だって神話・伝承の類いにだってそういうものはある。 ある事柄・事象に対する相対化された視点の獲得はあくまで読み手・観測者のリテラシーに依ると思う。 ある事象に対し相対化した視点を (書き手が) 与えてくれるというのなら, その観測者 (つまり読者) をも相対化する視点も見せなければウソだ。

「SF者」 が 「相対化」 なる単語を口にする時, それは単にヒト・ショービニズムからSFショービニズムに視点がシフトしているだけの話であって, ショービニズムそのものから解放されているわけではない。 私達 「SF者」 でない者たちは, そうした 「SFマインド」 の持つ胡散くささを嗅ぎ分ける。 まっ内輪で盛り上がるだけならそれでもいいが, そうでない人たちも混ざっている場合は安易に 「相対化」 という単語を使うのはコミュニケーション戦略的に巧くないのではないかと思ってしまうのであった。

額に「あ」

これも野尻ボードの記事から自分の額に向かって 「あ」 と書くと字形が左右逆の鏡像になる, という話。 なりません,私 (^^;) ただし 「起立姿勢で太股に書くと上下逆になる」 はアリ。 つか,書こうと思えば書けるけど結構苦労する感じ。 背中もそう。

私の場合, 本来左利きであることが影響してると思う。 最近は違うと思うが 私の子供のころは左利きの人は 「ぎっちょ」 とか言われて少し差別的に扱われていた節がある。 うちの親も私の利き手を 「矯正」 すべく一生懸命頑張ったようだが, 鉛筆はどうにか右手で使えるようになったものの箸の持ち手については遂に諦めたらしい。 おかげで鉛筆と箸は両手で扱えるようになった (なんかすっごいビックリされるんだよな,私が両手で箸使うと)。 左右逆の鏡像を描くのもそれほど苦にならないようである。 そういや右利きの人って右手で消しゴム使うよね。 子供心に皆なんで (わざわざ鉛筆を置いて消しゴムを使うなんて) 変なことするんだろうと思ってた。

要するにこういうのは訓練に依るのである。 何でも逆さまに見えちゃうメガネを付けさせられて最初は混乱するけどそのうち慣れて平気になっちゃうのと同じ理屈。

ちなみに左手で漢字を書くと私の場合たいてい鏡像になります。 左手で漢字を書く訓練はしなかったからねぇ。

コンパイル解散?

「コンパイル,会社解散。」

広島の優良 (だった) 企業ついに逝くか。 コンパイルからの正式コメントはまだないみたいだけど。

2003年01月30日

あれ?

ここでは一週間も書いてなかったのか。 最近向こう側の話題がてんこ盛りだからなぁ。

そういえば今更 『天文年鑑 2003年版』 を買う。 え〜, だって12月と1月は貧乏だったんだもん。 だから本もお酒も控えてたのさ。

エキゾチック物質って何?

「どうしてワームホールにはエキゾチック物質がいるのか?」

ワームホールやエキゾチック物質に関する一般の人向けの解説だそうだ。 確かに二次元で読み直せば多少は理解できるかな。

TPS の最新テキスト

「Mapping the Galaxy with SETI@home」

これって今世界的に行われてる銀河サーベイに絡む話なのかな?

SETI@home の成果が SETI だけじゃなく他の天文学分野にも貢献しているという話は自分のところでどこかの時点でまとめたいなぁ。 できれば次期プロジェクトが本各稼働する前に (^^;)

日本では議論不能?

「レッシグ教授の『コモンズ』を読む − 日本社会に投げかける問題」

白田秀彰法学博士 (でいいのかな? 学者さんの肩書きはよう分からん) による記事。 この前紹介した記事を書かれた方です。 結構凄い内容ですね。 白田博士は 『コモンズ』 を読むのに一ヶ月かかったそうですが, ど素人の私は二ヶ月たった今も全部読めてません。(つか読み直してる) みんなすごいなぁ...

日本の学者はジャンルを横断する問題について議論できない, という話は私が学生の頃から聞いているような気がするんだけど今だにそうなのかな。 確かにあらゆるジャンルを広く深く習得していくのは有限の時間では無理だと思うけど, 隣接する分野同士の議論ならできそうに思うんだけど。 つか, そういう学問上の議論というか (もっと基本的な) コミュニケーション戦略を習得するのが修士課程とかじゃないの?

この前書いた悪口にも通じる話なのだが, 普通の民間企業に勤めるサラリーマンの視点から見て, 文学や学問のジャンル間のコミュニケーション不全はとても奇妙に見える。 私はただの三流プログラマだがコンピュータやプログラミングのことだけ知っていればいいというわけではない。 お客あっての商売だし全く異分野のユーザと打ち合わせることだって多々ある。 もちろん博学である必要はないが, 少なくとも自分の知識を相手に分かるように「翻訳」したり相手の「言葉」を理解するために頻繁にネゴシエーションを行うことはコミュニケーションの基本中の基本だと思うのだが。 たとえそういう基本ができてなくても (恫喝で相手を制しようとする人とか) 両者の「言葉」を理解し相互に翻訳できる人 (営業マンとかうちらの業界で言えば SE とか呼ばれる人) を間に立てるとか戦略は色々あるのだ。

私がレッシグ教授を凄いと思うのは各ジャンルの境界線上に立ってお互いの「言葉」を相互に翻訳できる HUB 的な役割を演じられる人に見えたからだと思う。 この辺は東浩紀さんとか宮台真司さんとかにも同じ臭いを感じるのだけど (だからそういう方はもっといっぱいおられるのかと思ってたけど), 上記の記事を読む限り日本の学問世界で横断的な議論はできそうもないようだ。

同業者同士の議論 (あるいはもっと簡単な打ち合わせ) は楽だ。 基本的に知識背景も「言葉」も同じなので事前のネゴシエーションが不要だからだ。 こういう条件でダラダラと何時間も議論や打ち合わせを続けるのは不毛である。 しかし, これ (同業者同士の議論) はかなり特殊な条件であることも認識すべきだ。 確かにネゴシエーションは面倒臭いし時間もかかる。 可能であれば端折りたい気持ちも分かるが, 私達一般のサラリーマンが日常的にやってることを何で学者さんや専門家の方はしようとしないの, と思ってしまうのである。 ひとつの「言葉」がひとつの意味しか持たないなんて現実にはあり得ない話。 「言葉」が通じないからといってコミュニケーションを拒否するのは現実を拒否するのと等価だ。

実は昨夜クリエイティブ・コモンズについての覚え書のようなものを公開してみたのだが, 日本の状況が白田博士が書かれたようなものだとすると, 私が後半に書いた 「日本特有の状況がクリエイティブ・コモンズにどのように影響するか,専門家による解説や指針の提示を是非期待したいです」 ってのは無理なのかなぁ。

2003年01月31日

予告 (多分向こうはここを読んでおられないでしょうから)

なかなかの難問を突きつけられ激しく考え中。 おそらく数日中に某所を出禁になるでしょう。 (いくら考えてもそれ以上のシミュレーションは思い浮かばない)


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