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強度で判断するのはいい加減止めようよ

最初に書いておくけど, 随分前から私は「おもいっきり某」とか「あるある某」とかいった番組を「説教番組」と呼んで忌避している。 そういえば, 「性風俗産業が無くなったら何が起きるか」

「性風俗産業には、もちろん性欲を解消させるという役割もあるが、実際にはそれ以上に「性欲をかきたてる」という面も大きい」

と書かれていたが, してみると今回捏造が発覚した件の番組は世の人々の欲望を掻き立て近所のスーパーマーケットに殺到させる「性風俗産業」的な番組と言えるだろう。 視聴者は必ずしもバカではない。 しかし番組を見て掻き立てられる欲望を抑えきれなかったのかもしれない。 さもなくば欲望を掻き立てられることに耽溺してるとか。

とまぁ愚痴はともかく...

ネットに既存メディアほどの影響力がないのは当たり間。 新聞や TV などの既存メディアは読者や視聴者に影響力を行使するために存在しているし(何故ならそれが売上げに直結するから), そのための最適化を行っている。 一方のネットはメディアとしての影響力を持たない。 というかネット自身がメディアとしての影響力を獲得した瞬間にそれはネットではなくなる。

影響力をより強めるためには内容を犠牲にしなければならない。 より衝撃的な話題, より面白い話題, より残酷な話題, より欲望を掻き立てる話題, そういったものを指向する。 影響力のない話題は淘汰され, 逆に影響力の大きい話題はやらせであろうが捏造であろうが大きく取り上げる。 影響力は排除の論理で増幅される。 これはモラル以前の問題で, システムがそういう風に最適化されているのだ。 「中の人」はシステムのご神託どおりに動いているに過ぎない。

私は Web 2.0 の "Wisdom of Crowds" を信用していない。 あれは既存のメディアが持つ「影響力」をネットに組み込むための増幅装置だ。 だがそれが "Wisdom" であることを担保するものはひとつもないのだ。 それは既存メディアの今の有様を見ればはっきりしている。 人は見たいものしか見ない。 人々の注目を集めるためなら spam だってやらせ blog だって構わないのである。

ネットにおいて一番重要なのは多様性であって影響力ではない。 いいも悪いもみそもくそも全部フラットに並べられているのがネットである。 人々が信じる "Wisdom" からこぼれ落ちるノイズにこそ本当の叡智があるかもしれない。 私たちに必要なのは彼岸にある叡智を此岸から覗き見る望遠鏡ではなく, 彼岸に渡るための舟(般若)だ。 ネットは(上手く使えば)般若になりうる。 そのためにはまず手にしている望遠鏡(つまり強度によって判断すること)を捨てることだ。