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「実名」は何を担保するのか

面白い記事。

要するに「実名」が担保しているものは何かってことだよね。

最近の新聞は違うかもしれないけど, 私が新聞を読んでたころは(遠い目)記者が署名した記事なんかほとんどなかった。 でもその記事自体はある程度信用して読む。 何を以ってその記事を信用していたか。 もちろん書いた記者を信用しているわけでは全くない。 仮に記事に署名がされていたって私には彼(女)が実際に誰だか分からないのだから担保にはならない。 私がその新聞記事を信用したというのなら, それはその新聞のブランドイメージであろう。 (まぁ今は Google News で各社の記事を簡単に読み比べることができるので, 昔ほどブランドイメージに依存しているわけじゃないんだけど)

最初に紹介した記事では「責任ある言論」に必要なものとして以下のポイントを挙げている。

  • 一貫した論理
  • 検証可能な証拠

だが実際問題として, ある人にとって「検証可能」な事柄はそう多くない。 例えばある日イランが核ミサイルを発射したというニュースが流れたとして, それを「検証可能」な日本人が何パーセント(いや,何パーミル)いるというのか。 でもそういうニュースが TV や新聞で流れれば, それが検証不可能な事柄であっても一応みんな信用する。

別の例。 「そのまんま東」が県知事に当選する前に「東国原英夫」を名乗っても多くの人は「誰それ?」って思っただろう。 「東国原英夫」という本名を知らない人にとっては芸名の「そのまんま東」こそが「実名」であり, その「実名」から人となりを推測してあれこれ言い散らかしたわけだ。 いや, その「実名」から連想されるものは本当にそのひとの「人となり」なのか。 違うだろう。 それは「そのまんま東」というブランドイメージなのだ。 これは多くの有名人(特にタレントや自称も含めたジャーナリスト)に当てはまる。

ブランドとはすなわち「焼印」のこと。 それ自身を指すものではなく, それを象徴するもの。 いや, 象徴していると思い込んでいるものだ。

最近の新聞は「匿名」に対して批判的なキャンペーンを繰り広げているらしいが, それなら全ての新聞記事(三行記事も含めて)に署名と連絡先を明記しろと言いたい。 上の例で示したように, 「実名」だと思われているのは実は単なるブランドイメージに過ぎなかったりする。

名前というのは誰かに呼ばれて初めて何かを意味することができる。 それまではたとえどれだけ自称しようともただの記号に過ぎない。 「実名」というのは一連のコミュニケーションにおける相互の関係性の中でしか成立し得ない。 言い換えるなら「実名」が担保するものは言論そのものではなく言論が行き交う「場」である。 匿名が必要とされるのは「場」の外部を認識するためであり, あるいは逆に自身を外部に置くための手段であると言うことができるかもしれない。

そのように考えるなら既存のマスメディアというのは究極の匿名空間であるとも言える。 新聞や TV が垂れ流す「放送」は読者や視聴者との間に関係を構築しない。 読者・視聴者はただ消費(摂取)するのみだ。 消費したコンテンツを再利用するコミュニケーションは別のチャネルで行われる。 どんなに顔や名前が露出されようとマスメディアの向こうから見えるそれは「実名」たり得ない。 そこにあるのは一方的で象徴化されたイメージだけだ。

ただしネットには言論以外の「実名」の問題がある。 それはネットの検索能力の向上によって汎空間的な「名寄せ」が行われることだ。 私たちはこの「名寄せ」からある程度防衛する必要がある。 これはセキュリティの問題であって言論の問題とは区別されなければならない。 とはいえ実際には「場」を安定させるために一定のセキュリティを確保しなければならないのでややこしくなるのだが。

セキュリティといえば, 先日こんな記事があった。

ある署名(もっといえば署名に使われている鍵)が担保しているものは何かという問題だ。 Firefox の拡張機能(今は「アドオン」か)への署名は X.509 がベースになっているのが問題。 企業等がやるなら X.509 のような hierarchical PKI でもいいけど, 個人じゃ割に合っていない。 どうせなら OpenPGP のような web of trust も組み込めるようにすべきだった。

「実名」にも絡む話だが, ある時点で相手を即時的に信用する手段は存在しない (ここで言う信用は「認証(Authentication)」に対する信用ね。念のため)。 『下流志向』で言う「無時間モデル」では信用を得ることも与えることもできないのだ。 何故なら信用というのは相互の関係の中から構築されるものだからだ。 だから PKI についてもある時点で得た電子署名が信用できるかどうかと言われれば「信用できない」と言うしかない。 しかし, その後もやり取りが続くのであれば, その電子署名は信用を担保するのに充分な価値があるといえる。 例えばあるソフトウェアを利用する際, アップグレードの度に異なる署名者による電子署名が施されている場合と, いつも同じ署名者による電子署名が施されている場合ではどちらが信用できるといえるだろう。 ソフトウェアでなくともメールやメッセンジャーでのやり取りでも同じ。

「実名」が担保する「場」も「電子署名」が担保する「信用」も常に未来に対してのものであり,その証明も過去に遡ることではじめて可能になる。