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「ハードウェアのアナロジー」

「ただ、ハードウェアのアナロジーでソフトウェアを見立てる人がほとんどであろう「消費者」についてはどうだろうか」

やっぱりそこをつかれますか。 前回は(話があさっての方向にずれちゃいそうなんで)あえて書かなかったんだけど, 今回は頑張って書いてみる。

「ハードウェアのアナロジー」というのはつまり, 消費者はハードウェアに対し「完全な製品」であることを期待しているってことだ。 私だってそうだ。 私は買った製品に対してメーカーが定める保証期間よりも長く動作しつづけることを望んでいるし, 最近ではメンテナンスすら不要な製品を欲しがる。 直感的な「操作感」に反して奇怪な動きをする製品については買う前に忌避しようとする。 でもこれって買う前からその製品に対するより以上の可能性を諦めてしまっているってことだよね。 で, 一方で諦めてしまった可能性に対する欲望は実は次の製品に向かう。 今使っている製品が壊れているわけでもないのに, より丈夫で長持ちで, より手間要らずで, より安全で, より洗練されたデザインと機能を持った「新製品」が欲しくなる(実際に買う買わないは別として)。 こう考えるならハードウェア製品だってソフトウェア製品と同じなのだ。 ソフトウェアがソフトのアップグレードを繰り返すのと同じように, ハードウェアだって絶え間なく「新製品」を供給しつづける。

例えば, 松浦晋也さんによる「エネルギー収支からカーライフを考える」という記事がある。 この記事によると

「新車を製造するのに必要なエネルギーは、その自動車をおよそ5万km走らせるのに必要なガソリンと等しいのだそうだ。燃費の良い自動車を製造するのも悪い自動車を製造するのも、等しくエネルギーが必要なはずなので、この話は「その車格の平均的燃費で5万km」ということなのだろう。
つまり、「燃費の良い新車にしましょう」と自動車を買い換えると、それだけで5万km分のエネルギーを消費することになるのである」

だそうである。 引用の引用で申し訳ないが, ここで名和小太郎さんの言われる

「品質管理も保守も、資源の節約、廃棄物の減量にとってはゆるがせにできない仕事である」

というのは本当にそうなのか疑問がある。 たしかにメーカーは「内部統制」の立場から徹底した品質管理を行い, 消費者には「より環境に優しい」製品を生み出しているのかもしれない。 しかし次々と「より環境に優しい」製品を出すことが「諦めてしまった可能性に対する欲望」を喚起し結果的に環境負荷を高めていることも見逃せない。

「ハードウェアのアナロジー」はコストを見えなくする。 本当のコストは目先の価格,目先の消費エネルギー,目先の安全性,目先の利便性の裏側に隠れてしまっている。 例えば Amazon で買った一冊の本が自宅に届けられるまでに消費される燃料やその結果排出される二酸化炭素などがどれだけのものか考える人はあまりいないだろう。 ほとんどの人はただ便利だから(つまり自分に直接かかるコストを下げられるから) Amazon を利用しているに過ぎない。

世の中はリスクとベネフィットのバランスで成り立っている。 これまで私たちがしてきたことはリスクを「外部」に追いやることで不可視化し, ベネフィットのみ追求することだった。 当然コンピュータやネットでも同じ手法でうまくいくように思われた。 でもそれがうまくいかなかったのはネットにはリスクを追いやるべき不可視な「外部」が存在しないから。 全てがフラットで過視的だから。 フラットで過視的な世界ではリスクを負担しない人は存在し得ない。 だからリスクをどのように分担するか(リスクの再配分)が重要になる。 「ハードウェアのアナロジー」ではなく「それは仕様です」脳に陥ることもなくそれを遂行できればネットはもっと面白くなる, と思う。 もっとも今のネットはセキュリティ・リスクに過敏になっちゃってまるっきり逆のほうを向いてるけど。

あぁ,やっぱり話があさっての方向に。 すみません。