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ケータイという身体属性

GREE や mixi がケータイ型ユーザを取り込み始めた時点で殆ど予想できたことではあるが, なかなか面白いことになっているようだ。(3/21 一部追記と修正)

梅田望夫さんは『ウェブ人間論』の中で

「これからの世代において、携帯電話を身体の一部と思えるか思えないのかというのは一番大きな分かれ目かもしれません」(p.132)

と仰っているが, 私から見ればケータイはとっくに身体の一部である。 3GPP の仕様書でも移動機のことを UE (User Equipment)っていうでしょ(それ以前は MS (Mobile Station)などと呼ばれてたりした)。 また, とくに子供たちの間でのケータイを中心としたコミュニケーションの仕方にもそれは顕れている。 例えば「mixi 読み逃げ」なんて話は「ぱどタウン」で言う「はしご」を彷彿とさせる。 (もっとも「mixi 読み逃げ」を禁止する動機がかつての「ぱどタウン」の子供たちと同じかどうかは社会学的な見地からちゃんと検証する必要があるけど)

ケータイによるコミュニケーションがネットのそれと異なっている点のひとつは, ケータイでは相手からのメッセージがダイレクトに届く(少なくとも端末からはそう見える)ことだと思う。 だからユーザはケータイを取り囲むネットという空間を想像できない。 喩えるなら人のいっぱいいる電車の中で携帯電話で仕事の話をするサラリーマンとかいるでしょ。 携帯電話で会話中の彼には社外秘かもしれない内容が周囲に丸聞こえだなんて思いもしないだろう。 あれのネット版だと思えばいい。 言ってみればケータイは「デマコーヴァ」なのだ。

「世界がジャングルを囲んでいるんじゃない。ジャングルが世界を囲んでいるのです」

ケータイのこの特性はサービス提供者から見て都合がいい。 ケータイはユーザをダイレクトに繋ぐ Identifier として使える。 しかもユーザから見ても(ケータイのアドレスは簡単に変えることができるので)非常に気安く利用できる。 そりゃあもう, OpenID なんか目じゃないほどの使い勝手の良さだ。 だから「プロフ」みたいな(常識的に見てめちゃめちゃ危なっかしい)サービスも成立し得る。

ケータイ型ユーザはネットに公共性や社会性を感じていないし求めてもいない。 そこには「私」と「(私の写像としての)あなた」しかいない。 それ以外は全て外部に押しやられ存在を許されない。 つまり「mixi 読み逃げ」というのは相手のパーソナルスペースを踏みにじる行為なのだ。 これはリテラシー以前の問題なのである。 (GREE や mixi がそこまで考えてるとはとても思えないが) これからサービスにケータイを組み込もうと考えている人は, こうしたユーザの振る舞いをよく研究した上でシステムを設計すべきだ。 だれか研究しないかな。

というわけで mixi がサービスにケータイを(単なるブラウザとしてではなく)全面的に組み込み, ケータイ型ユーザが増えれば増えるほどそこは公共空間でなくなっていくことを古参ユーザは覚悟したほうがいい。 だから「みんなこっち(Vox)に来ませんか?(笑)」