『消費社会から格差社会へ』を読む

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消費社会から格差社会へ
三浦 展著 / 上野 千鶴子著
河出書房新社 (2007.4)
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この本は同じく三浦展さんによる 『団塊格差』 と併せて読むと面白い。 『団塊格差』 はいわゆる「団塊世代」をターゲットに行った大規模なアンケートの結果を解析・評価したもので, なかなか読みごたえがある。 『団塊格差』 については ced さんの書評が参考になるだろう。 『消費社会から格差社会へ』『団塊格差』 より後に出版されているが, 上野千鶴子さんとの対談は 『団塊格差』 の執筆中に行われたようだ。 なので両者は微妙にリンクしている。

はっきり言って私はマーケティングについては全くの素人で, 本に書かれている内容についても全体としては「ふ~ん」程度の感想しかない。 しかも私は島根の(県庁所在地だけど地理的には)ド田舎出身で大学時代も広島の(県庁所在地で政令指定都市だけど規模的には)地方都市で過ごしていたため「パルコ」だの「セゾン」だの言われてもピンと来ない。 ほとんど異境の文化である。 (同様の理由で私は『東京から考える』を読むのを途中で放棄した。 『東京から考える』は(都会の広告が聞こえてこない)地方在住者にとっては全く現実感に乏しい。 ちなみに広島市にパルコができたのは1994年だ)

それでも 『消費社会から格差社会へ』 を面白いと感じるのは, 『団塊格差』 と同じく, その分析の中に「現実味」を感じるからだ。

この本の最初は, 同じく三浦展さんのベストセラー『下流社会』の評価から始まる(私はこの本を立ち読み程度にしか読んでない。あしからず)。 上野千鶴子さんとの対談のなかで何度か出てくるが, 『下流社会』が与えたもっとも大きなインパクトは「下流」という階層意識を社会的に認知させたことにあるようだ。 今の日本は格差社会と言われるが, 格差そのものは昔からある。 しかし「一億総中流」といわれる中, 「下流」であることは認めたくないタブーであったように思える。 それが『下流社会』の登場によって「下流」階層の存在を知り「下流でいいんだ」と開き直れる根拠を与えてしまったのかもしれない。 もう「中流」のイメージに必死にしがみかなくてもいいのである。 まさに「下流でも、みんなで流されれば怖くない」である。 この手の本が流行ってるのは, このように「下流」という言葉が現状肯定の方便として使われているかららしい。

もうひとつ 『消費社会から格差社会へ』 で面白かったのは世代間の関係性。 「ある世代はよかれ悪しかれ先行世代の影響を受ける」という考えてみれば当たり前のことを改めて思い知らされた。 今時の問題であるように見える「ニート」とか「フリーター」とか「○○難民」とか, あるいは「自分探し」なんていったものまで含めて, 30年以上前から存在する「格差社会」を今風にアレンジして「再放送(Rerun)」しているに過ぎない。 ただ当時は「団塊世代」のステレオタイプな広告イメージに隠されていたわけだ。

私自身はいわゆる新人類世代(1960-68年生)だが, この本に書かれているような「団塊世代を仇敵みたいに恨んで」といったことはない。 もちろん個人的には苦手な人もいるけど「世代」でまるごと括れるほど団塊世代は均質じゃない。 まぁ前いた会社は経営者を含めて(当時は)若い会社で「類は友を呼ぶ」みたいなところだったので, 団塊世代の人たちとの濃い付き合いが少なかったというのもあるかもしれないけど。 もし「団塊世代を仇敵みたいに恨んで」いる人がいるというのなら, それはむしろ(世代間の)近親憎悪に近いものなんじゃないかという邪推さえしてしまう。

とまぁこんな感じかな。 他にも上野千鶴子さんによる「女子校文化」や少子化や子育ての問題などに対する見解なんか興味深いのだが, この辺については評価する物差しを持っていないので今回はパス。

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消費社会から格差社会へ―中流団塊と下流ジュニアの未来
三浦 展 上野 千鶴子
河出書房新社 2007-04
評価

団塊格差 下流志向──学ばない子どもたち、働かない若者たち ゲーム的リアリズムの誕生~動物化するポストモダン2 人生の教科書〈人間関係〉 格差社会スパイラル コミュニケーションで二極化する仕事、家族

by G-Tools , 2007/05/12