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自動化するタブロイド・ジャーナリズム

あまりにもバカらしいのでブログに書くつもりはなかったが, あまりにあまりなのでちょっと書いておく。

私はジャーナリストではないが, 佐々木俊尚さんのこの記事にほとんど同感であることを最初に宣言しておく。

はっきり言って私はその手の画像や映像は悪趣味に感じられて見る気がしない。 Web というのはその気がなければ見ないふりをすることのできるメディアであり, 件の映像を公開する人も, それを見て批判がましいことを言う人も悪趣味なナルシシズムであるという点において大差ない。 しかし, この手の話を個人に帰結するような展開に持っていってもしょうがない。 なぜならそれは, システム(系)として出来上がっているものであり, もはや否認は無意味だからである。

いまでも時々涌いて出る「はてブ」のコメント批判や, 最近ではランキング依存の話続きもある)などを見て頭に思い浮かぶのは 「自動化するタブロイド・ジャーナリズム」というフレーズだ (ちなみに私は本屋のランキング棚は華麗にスルーである。いや見ても全く食指が動かんので)。 タブロイド・ジャーナリズムというのはセンセーショナリズムのことだが, 「タブロイド」というメタファがお気に入りなのでこちらの表現にしてみる。 世の中に溢れている情報のほとんどはタブロイド・ジャーナリズムの産物だ。 枝葉末節をセンセーショナルに増幅して見せているだけのマッチポンプ広告である。

「タブロイド・ジャーナリズム」という言葉が生まれた当時と今との違いは, 語り手と受け手, 供給者と消費者が本質的に等価であり(両者の違いはプロセスの違いでしかない), しかも増幅を受け持っているのは主に受け手・消費者側のプロセスであるという点だ。 そしてその増幅装置が「ランキング」というアテンションであり, その具体的な実装が, ネットで言えば, 「はてブ」やその他のレコメンデーションであると言える。

ここで重要なのはタブロイド・ジャーナリズムの中身を今更批判して見せてもしょうがないということだ。 何故なら批判そのものがタブロイド・ジャーナリズムの一部を構成してしまっているからだ (もちろんこの記事も例外ではない。だから「バカらしい」んだけどね)。 「マスコミは野次馬根性を隠すための共同幻想装置」であるのと同じく, 私たちは同じ幻想の中で「自動化するタブロイド・ジャーナリズム」という装置の中に絡めとられているのである。 ここを出発点としない限り, あらゆる(大抵は嫌悪感に根ざした)批判はマスターベーションと変わらないものとなってしまう。

そういえば (毎度同じ本の紹介ばかりで恐縮だが) 今読んでいる 『嗜癖する人間関係』 に, こんな恐ろしい記述がある。

「もし人びとが、 ロマンス嗜癖と向き合い回復を選択するなら、 たぶん経済的な反動が起こるでしょう。 映画は変わり、 全体として新しい焦点が発達してくるかもしれません。 空想と現実の間により明白な境界線が引かれ、 空想はそういうものとして明確に認識されるでしょう。 もし印象操作があまり有効でなくなると、 化粧品、 服飾品、 美容整形外科などは明らかに影響を受けるでしょう。」 (p.101)

私たちのいる(幻想)世界はそういうところである。