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何度目かの戯れ言

アメリカ大統領選挙, 決まっちゃったみたいだねぇ。 私は英語不得手なのだけど, 彼のスピーチにはちょっとグッとなってしまった。 やっぱ100年後を語れないものに「天下の経営者」たる為政者の資格はないよな(たとえ中身は薄くても)。 今回は特に思うけど, 大統領選挙ってのは大統領を選ぶ選挙じゃなくて大統領をつくる選挙なんだねぇ。 (同時に選挙民をつくる選挙でもあった, という指摘もいただきました。 確かに)

と, まぁこんな風に今回も, ひとつひとつではネタとして軽いけど,まとめて書いたらちょっとはブログ記事っぽくなるかな? って感じでお送りします。

生まれ変わる DRM

八田真行さんの 「「オープンソースDRM」の不可能性について」 を読んで, 随分前の『日経エレクトロニクス』 2008年3月10日号の特集記事を思い出す。 「コピーに自由を ―生まれ変わるDRM―」という特集記事で, 2部構成になっているのだが, 第1部はネットでも公開されている。 第2部が見当たらないけど, 最新の DRM の動向が知りたい方は是非バックナンバーを探して欲しい。

オープンソースではないが, DRM については以前私もちょこっとだけ調べたことがある。 そのときは(対象がオープンソース製品ではなかったので)ダウンロード(ストリーミングも含む)したコンテンツを DRM から外して使いまわすというのは意図的に無視してたけど, 「「オープンソースDRM」の不可能性について」に書かれている

「そもそも、「オープンソースDRM」などというものは原理的にあり得ないと私は考える。 理由は簡単で、いかに暗号化したところで、最終的には必ず消費者の手に復号化されたコンテンツが渡るからだ(さもなくば映画は見られないし、音楽も聴けない)。 そして、どこかの時点で復号化されたコンテンツが消費者の手元に存在する以上、それをそのまま保存するようクライアント(プレーヤ)をいじってやればDRMは意味を為さなくなる。 そうやって保存されたものはもちろん復号化済みなので、改めて暗号化しない限り第三者への流通も可能だからだ。 オープンソースである以上、これは避けがたい帰結である。」

はそのとおりだと思う。

特集記事「コピーに自由を ―生まれ変わるDRM―」の第2部では, 主に電子指紋と電子透かしの技術を取り上げている。 電子指紋の技術は MySpace や Google などで採用されているらしい(Google/YouTube はまだ実装されてないのかな?)。 既存の流通システムをエミュレートした特定のシステムにコンテンツを押し込めるのではなく, 既にネットに上がっているものを追跡・同定するのが電子指紋や電子透かしの技術である。 こういった技術は SaaS 型のサービスでは有効に作用するだろう。 そこからこぼれ落ちるものをどう追跡するかが問題だけど。

おめぇらに使わせる著作権はねえ!

例の大物プロデューサ「K」のアレは詐欺事件として本人捕まっちゃったみたいだけど (なんか2重譲渡とか3重譲渡とか酷い話が伝わってくるけど), 私は最初から彼のファンでもなんでもないので事件そのものには興味がないのだが, 今回の件は2006年のあるインタービュー記事を思い出させてくれた。

いや, ゴメン。 少しウソ。 記事があったことは思い出したが, インタービューする人もされた人も名前を間違って覚えていて, 自分のブックマークを探し回ってしまった。 ホント, ブックマークしておいてよかったよ。

記事から平沢進さんの発言を少し引用しよう。

「例えばメジャーなレコード会社で活動してたとしますよね。 レコーディングが終わるとある日突然、出版会社から契約書が届くんですよ。 で、契約してくれと。 契約条項にいろいろ書いてあるんですけど、契約書が送られて来た時点で、JASRACにもう勝手に登録されているんです。 残念ながらアーティストは、著作権に関してまったく疎い。 同時に私自身も疎かったがために、そういうものだと思いこんでいたわけですね。 それによって、出版会社に権利が永久譲渡されている曲というのがあったりするんですよ。 で、JASRACで集金されたお金は、この出版会社を通るだけで50%引かれて、アーティストへ戻るという構造があるんですね。 出版会社は“プロモーションに努める”と言いますが、成果は保障せず、どんなプロモーションをするのか何度説明を求めても、回答しないことがほとんどです。」

しかも今はレコード会社の中に出版会社があるような状況らしい。 そうするとインタビュアの小寺信良さんが解説されているように

「つまりレコード会社と出版会社のタッグは、原盤権も手に入れた上で著作権までもゲットし、その著作権料で制作費まで回収し、回収が終わっても曲が売れ続ける限り、著作権料としての利益を上げ続けることになる。」

ということだそうだ。 詳しくは記事を読んでくれ。

結局, 著作権はクリエイターのものではなく「権利者」のものなんだよね。 ここで「権利者」というのは権利をつかんでいるもの, という意味。 本来それを持っているべきクリエイターが自覚的でないと簡単に手から離れていってしまう。 いざそれを金に替えようと思っても, そんなもん最初から手元にはないってわけ。

海外はどうか知らないが, 日本の著作権法は「権利者」同士の利害調整のために存在し, クリエイターもコンテンツの利用者も蚊帳の外である。 そうでないというなら, あの眺めるだけで脳みそがこむら返りを起こしそうな複雑な権利群をどう説明するというのだ。 あの権利群は, ひとつのパイを「権利者」たちで分け合うための切れ目でしかない。 最近ようやく本格的な議論になろうかという「フェアユース」は, 日本の著作権法にはじめてユーザがパイの切れ端の奪い合いに参入できるということだ(そしてネットにおいてクリエイターと利用者は不可分になりつつある)。 だからこそフェアユースの議論には必ず利用者を含めなければならない。 実際はそうなっているようには見えないけど。