統制という名の...

no extension

最近, 私の mixi アカウントは放置プレイ気味なので, どこまで本当のことかよく分からないが, 「mixi終わったな。」 によると

「どうも「出会い」をキーワードにしたコミュニティをどんどん削除している模様。
その中身が健全だろうが不健全だろうが、「出会い」と書かれている物に関しては削除している様子。
たとえば「○○県の友達を作ろう」とか、そういったコミュニティ。
mixiが始まったころからあるような老舗のコミュニティや、
参加者数5万人を超えるような大規模コミュニティも削除されている模様。」

ということらしい。 以下は, 今回の件が本当であるという前提で書く。 違ってたらゴメン。 でもそれほど的外れじゃないと思うんだ。

どなたかが「撤退戦」と書かれていたが, これは正確ではないと思う。 これまた別のどなたかが書かれていたが, むしろ「統制」というべきものだろう。 なんで今更こんなことを書くかというと, 今読んでいる(一時中断していたが) 『後期近代の眩暈』 に出てくるイギリスの移民問題の話と, (今回を含む) mixi における一連の流れに似ている部分があるように思えたからだ。 ここで言う「統制」にはふたつの側面がある。 一方は「包摂」でもう一方は「排除」である。

今 mixi が抱えている問題は移民問題とちょっと似ている。 mixi は IPO 前後からケータイ・ユーザを受け入れ始めた。 もちろんユーザを増やすためである。 しかし, ケータイ・ユーザは, それまでの PC ユーザとはかなりの文化的差異がある。 加えてケータイ・ユーザには PC ユーザにはない縛りがいくつかある。 端末機の問題もそうだが, 最大の問題は「有害コンテンツのフィルタリング」である。

ケータイにおけるフィルタリングの問題は, すったもんだがあった末, 「ケータイのフィルタリング自体はやむなし」ということになっている。 しかし, 実際にフィルタリングを強力に推進しているのは政治家でも官僚でもなく, コンテンツを勝手に有害かどうか決め付けるなんたら協会でもなく, サービス・プロバイダ自身なのである。 法・規範・市場・アーキテクチャの4つの「力」の分類で言うなら, 市場がフィルタリングを推し進めている。 ここが重要。 サービス・プロバイダは自身が抱えるユーザを統制するための方便としてフィルタリングの問題を口実にしている。 その結果が, mixi の場合は「「出会い」をキーワードにしたコミュニティの削除」という形であらわれたのだろう。 既存のユーザとケータイから大量に流れてくる(予定の)ユーザを「包摂」するために「フィルタリング問題」を利用し, そこから外れるもの(例えば「「出会い」をキーワードにしたコミュニティ」)は「排除」していく。 右手で抱き上げて左手で殴る。 大量に喰らい, そして嘔吐する過食症的社会が mixi の中で形成されている。 (ちなみに 『後期近代の眩暈』 では過食症(bulimia)を「過剰包摂」と訳している)

通常の社会なら排除された人たちは周辺化していくが, mixi ではサービスを出て行くか利用しなくなるだけだ。 排除される人たちから見れば「mixi 終わったな」でも, それを上回る「統制された移民」が見込めるならサービスとしては無問題である。 こうして統制された(飼いならされた)羊達だけで構成されたサービスは, 自分たちの「正義」に向かってどんどん先鋭化していくかもしれない。 もしそうならかなり怖い話である。 そしてこれがフィルタリングの本当の問題でもある。

(追記 4/4)

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