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そろそろ「衆愚がどうたら」とか言うのはやめないか

Web 2.0 がただのバズワードだと分かった今, そろそろ, あるサービスが「衆愚」かどうか論じるのはやめたらどうだろう。

私の Tumblr Dashboard の補足範囲にも, いまだに「衆愚がどうたら」とか言う記事が見受けられる。 たとえば「Google衆愚スパイラル」では

「Google以前のWebでは、信頼できる情報には多くの人から「これは信用できる」という情報とともにリンクが張られてきました。
間違った情報は批判を伴ってリンクされるか、単純に無視されて自然に消えていたのです。
ですが、今のGoogleの仕組みでは、間違った情報でも被ンクが多ければ上位に表示されてしまいます。
誤った情報、ゴミのような雑多な情報が簡単に流通してしまう。
これは、自動的に情報を収集しランク付けをするGoogleというシステムの欠陥です。」

などと書かれていたりする。

そもそもネットにおける「衆愚」とは何なのか。 「CGMの衆愚化とは」の以下の部分が参考になるだろう。

「Web2.0が普及し出した初期の頃(2005~2006年頃)までは限られたユーザーが質の高い内容でブログを公開し、 信頼性を持ったユーザーどうしでコンテンツを生成・発信するCGMであったのが、 この時期を境に、 発信される情報が急激に増加し、 誰もが容易に情報やコンテンツを作成可能となったことで、 スパム・ブログ増加やSNSにおける交流の分断化といったという皮肉な現象を起こしている。」

要するにこれって情報の S/N 比の問題なのであり, 本来の意味の衆愚とは何の関係もない(「集団知」対する言葉として使われたので無理もないけど)。 母集団が大きくなれば S/N 比が悪くなるのは当然であり, ノイズを回避しようとするなら, 母集団を大きくしないようにする(または偏りを作る)か, S/N 比を上げるためのフィルタリングに何らかの恣意を挟みこむしかない。 はてブは前者で Google の検索サービスは後者だ。

情報の信頼性が云々なんてのは単なる思い込みであり, そもそも情報自体に信頼性を担保するようなものはないのである(したがって「集団知」なんてものもない)。 ある情報が信頼できるかどうかはその情報がフックする知識や人に依存している。 (本当は情報は知識とのみ結びつくと言いたいけど, 実際にはそれを発信している人に結び付けられがちである)

S/N 比の低下はネットおよびネット上のサービスが発達する段階において避けられない現象である。 問題は S/N 比の低下(衆愚化)が発生することではなく, S/N 比の低下を避けるためにネットやサービスに手を入れるそのやり方が妥当かどうかにある。 それは集団の先鋭化・たこ壺化と紙一重だからである。

「「今はダントツでmixi」--ギャルのケータイ最新事情」 という記事はなかなか興味深い内容を含んでいるが, その中にこんな記述がある。

「ギャルは広告じみたものに非常に強い抵抗を感じており、 「大人の戦略でしょ」という見方をしてしまいます。 読者モデルのような等身大のリアルな声にしか心に響かないのです。 ただ、 広告を見て、 読者モデルなどが勧めていたら、 「あ、本当なんだ」と思うので、 マス広告との連動は重要だと思います。」

つまり彼女らは「広告」というノイズを排除するために「読者モデルの発言」をフィルタリングに使っている (読者モデルだって存在自体が広告なのに)。 傍から見れば子供じみたやり方ではあるが, 「衆愚化」を避ける(S/N 比を上げる)戦略というのは基本的にこれと大差ないということは頭に入れておくべきだろう。 そして, こうした戦略は「統制」を受けやすいことも考慮すべきだ (この辺は前に書いた記事にも通じるけど)。

情報は偏りすぎては判断を誤る。 「情報は広く知識は深く」である。 そのためには, いかにして情報の誤配を許容する(daily me になりすぎない)かが鍵になる。 そういえば Tumblr について 「Tumblrは個人の趣向を雑誌化させる」 と書かれている人がいた。 こういう「総合雑誌的な「誤配」」を生じさせるような設計はありなのかなぁ, と思ったりする。 もっとも, Tumblr がいつまで「遊び場」でいられるかという問題もあるけれど。

(3/26 追記)

最初に紹介した記事の続きがある。 参考までに... (辛辣に書きすぎたかな)