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この10年

yomoyomo さんが WIRED VISION で 「ゼロ年代をウェブに生きて」 という記事を書いておられて, 「あぁ,そういう括りがあったのか」と今更ながらに(いや,皮肉でもなんでもなく素で)気付く今日この頃, みなさま如何お過ごしでしょうか。

ちうわけで私もちょっとまねっこしてみることにした。 つっても大したことは書けないので, 自分の身の回りのことを中心に書かざるを得ないのだが。 バカ話なら Vox に書こうかとも思ったのだが, そういう話にすらなりそうもないのでこっちに書く。 ゴメン,ペコン。

10年前の1999年といえば, 私が SETI@home参加し始めたときである。 これは自分の中でかなり大きい出来事だったりする。 もちろんそれ以前にも「ホームページ」は持ってたし, 「インターネット」以前にも日経 MIX や NIFTY-Serve などのパソコン通信はやっていたけど, どちらかというと情報摂取の手段としてのものが主で, 純粋なコミュニケーションはごくごく内輪に限られていた。 だから不特定多数の集まりに「参加」するなんてこれまで経験したことがなかった。 自分にとっての Wikinomics 的な体験はおそらくこれが最初なんじゃないだろうか。 30代も半ばにもなって, である。

それから今までやらなかったようなこと, 社内に向けて書いていた文書や簡単なフリーソフトを公開したり, それを通じて色んな人とやりとりをしたりというようなこと, をやるようになって痛切に感じたのは「日本の外は広い!」という単純な事実だった。

私が「著作権」というものに興味を持つようになったのは仕事を通じてである。 私のような職業エンジニアやその所属する企業にとって著作権を含む知的財産権は自らの身を守る武器であった。 それが少しずつ変わっていったのはもちろん, Linux を含む FOSS の台頭が大いに関係している。

1990年代の Linux ははっきりいってオモチャだった。 せいぜい「UNIX ごっこ」ができるくらい。 実用的な面といえば Sun などのワークステーションに繋ぐ端末としてであった。 そうそう, (今は知らないが)初期の SETI@home のサーバは Sun から提供を受けた Solaris ワークステーションだった筈である。

日本で1990年代といえば DOS/V や Windows が黒船のごとくやってきた時代で, その中における Linux の位置付けは「DOS/V マシンを UNIX 端末にできるソフト」だった。 そのままごとのオモチャでしかなかった Linux を始めとする FOSS 製品群がここまでの影響力を持つと, 当時どれだけの人が予想できただろう。 でも時代はそうなってしまった。 今は IT 企業が嬉々として FOSS プロジェクトに「参加」しているのである。

面白いのは, 企業を守る武器としての「著作権」が GPL というハックにより F(O)SS のプロセスそのものを守る手段として機能している点だ。 よく GPL を「ウイルス的」と非難する人がいるが, 今のユーザと企業と FOSS との関係をうまくバランスしているものは GPL というハックであることは考慮すべきであろう。 そして「著作権」が守るべき対象がこの10年で変わりつつあることは重要なポイントである。 それはソフトウェアに限らず, 著作権を付与されたあらゆる情報について言えることでもある。

CC/CC-license はそうした変化のひとつだと捉えることができる。 その初期の議論にネット上でちょっとだけ立ち会えたことは本当にラッキーだった。 まぁイベントの類いは大抵(遥かあずま方の)東京なので参加できないが(涙)

日本では2004年あたりの議論をいつまでもグルグル回ってる感じでまるで進歩がないが, 海外ではそんな日本をおいてけぼりにしてどんどん先に行っている。 DRM に関しても, 日本がいつまでも Winny の呪縛から逃れられず, 見える化ソフトがどうのとか時代遅れなことをやっている間に非常に面白いことになっている。

今, DRM の分野で最先端を走っているのは間違いなく Google だろう。 DRM を今でも, ちゃちな暗号化技術でコンテンツを見せなくする技術, だと思ってる奴は「おととい来やがれ」である。 まず『日経エレクトロニクス』の2008年3-10号を手に取れる方は, その中の特集記事「コピーに自由を」を読んで欲しい。 『日経エレクトロニクス』なんか知らねぇよ! って方は Tech-On! の以下の記事を読むことをおすすめする。

これの意味するところはサブタイトルに書いてあるとおりである。 YouTube というか Google は情報(もはや「コンテンツ」よりもこう呼んだほうがいいだろう)の流通をお金に換える企業であり, そのためには大量の情報が常に流れている状況を作り上げることが必要条件なのである。 だから情報の流れを止めてしまう旧態依然な DRM の仕組みは全くお呼びでない。 これをもっと推し進めたのが Google Book Search だ。

Google Book Search といえば例の和解案だが, これについて分かりやすく説明しているのが, 東京国際ブックフェアのボイジャー社のブースで弁護士の村瀬拓男さんが行った講演だ。

以下に少し引用してみる。

「グーグルはダウンロード販売は原則和解案の中に入っていません。 ダウンロード販売させないことについてグーグルの日本法人の人に聞いてみたんですが、 グーグルの今の方向としては、 「クラウドコンピューティング」だという言い方をしていました。 今のネット環境などを考えるとユーザーにデータをダウンロードさせることによって生じるメリットは基本的にはないと。 むしろダウンロードしてしまうことによって、 いわば権利者というかコントロールしている側からものが離れていくわけですから、 その権利を保持するためにはDRM(=Digital Rights Management)システムをガチガチに組み込まなければならない。」

「ダウンロード販売させない」ってのは, ある意味究極の DRM である。 何故なら, DRM の命題というのは「いかにして所有をコントロールするか」ということだからだ。 アーキテクチャによって「所有」することを無意味化する。 これ以上の DRM があるだろうか。 そして Google はその流通過程からあがりを得るのである。 しかも権利者にも破格の配当があるという。 そんな条件から外されてしまった日本はつくづく残念な国だといわざるを得ない。

既にくそもみそもひっくるめてたくさんの情報が氾濫するこの時代。 「所有の無意味化」はどんどん進行することだろう。 これは Google に限ったことではなく時代のトレンドだ( Google は正しく「波に乗っている」とも言えるかもしれないが)。 これまでの著作権は著作権者を守り流動化を押しとどめるための「盾」だった。 しかし, これからの時代の著作権は守るものが変わるかもしれない。 つまり流動化を担保する手段としての著作権である。 その先駆けは GPL や CC-license として既にあらわれている。

このからくりが理解できない知財ゴロと組むと最終的に損をする。 これからの10年に向けて辺境からのささやかな警告である。