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Google Buzz and Profile

一応, 世の中の流行りモノには乗っておこうというわけで, Google Buzz に参加してみた。 のだが, しかし, 当面は積極的には使わないかもしれない。 私を follow しても構わないが, 今のところ Twitter や Flickr などの情報を流し込んでるだけなので, follow しても面白くないと思うぞ。

いや, 何が気に入らないって, Google Profile と連動しているのが気に入らない。 Google Profile には「検索して見つけてもらえるようにフルネームを表示する」という項目があって, 当然のように私はこの項目をオフにしていたのだが, Google Buzz を使う場合にはオンにしなければいけないらしい。 っていうか強制的にオンにさせられてしまった。 しょうがないのでフルネームの項目はニックネームに書き換えた。 まぁこのサイトで本名はすでに晒しているので, いいっちゃあいいんだけどね。

「ソーシャルウェブ」と言えば聞こえはいいが, Google のやっていることは「情報の名寄せ」である。 Google の「使命」は世界中の情報をグラフ化することなので, 当然といえば当然の帰結であるが, プライバシーの観点から見れば微妙な問題である。 例えば Twitter は全世界に「自分」の行動を晒してしまうサービスだけど, 言い方を変えれば Twitter 上で「つぶやいた」以上のことはない。 だから「Twitter 上でどう振る舞うのか」について気にさえしていればよかった。 しかし Google によってGoogle Profile をキーに複数のサービスのアウトプットが名寄せされていけば, それだけでは足りなくなる。 情報と情報が合わさったときの「意図せざる結果」に常に気を配る必要が出てくる。 場合によっては Google 関連のサービスを利用するなら複数のアカウントに分散させて利用するなどの自衛策が必要になってくるかもしれない。 (2/16 一部修正)

以前, 「公開されたプライバシー」という概念について紹介したことがあるが, Google はプライバシーに関する危うい領域に手を出そうとしている。 しかも Google はプライバシーに関してはかなり無頓着だ。 ついこの前だって Google のエリック・シュミット CEO がプライバシーを否定するかのような発言を行って大論争になったばかりだし (どういうわけか日本では, 大方みんな知らん顔してたが。 こういう点からも日本ってプライバシーの意識が希薄だよなぁ。 GSV みたいなのには敏感に反応するくせにさ)。 もうひとつ例を挙げれば, Google Buzz のケータイ・バージョンは位置情報を吐き出す。 iPhone 版ならまだ位置情報を止めることもできるが, Andoroid 版では止める方法がない(「Google バズ を快適にお使いいただくために」参照)。 こういう点からも Google のサービスの危うさが窺い知れようというものだ。

ちうわけで, 現時点では Google Buzz を積極的に利用する気にならない。 まぁでもそれは現時点での話で, 将来的には分からない。 昔は Amazon のレコメンデーションすら忌避してたのに, 今では何の違和感もなく利用している。 今の時代は, そうやってこれまでプライバシーだと思っていたものがどんどん削り取られていくものなのかもしれない。

(追記 2/15)

yomoyomo さんにツッコミをいただいたが, もちろん yomoyomo さんの記事は読んでます。

(読んでたんだけど, Delicious.com のブックマークが分からなくなっちゃって, 上の記事の URL も yomoyomo さんに教えていただきました。 ゴメンペコンです。 しかも後で見たらタグの付け方が適切じゃなくて見つけられなかったというオチが。 タグ大事)

この件につては yomoyomo さんの記事と海外の翻訳記事以外に本当に見かけない。 yomoyomo さんが紹介している記事以外では以下の記事があった。 (これも翻訳記事だけど)

これは Tumblr で書いたんだけど, リアルであれネットであれ, 私たちは時と場合によって自分自身の行動を使い分けている。 なぜ使い分けなんかするかというと, その「場」(空間的な意味の場所とは限らない)から離脱できる可能性を担保しておくためだ。 でもそれを全部「名寄せ」されてしまえば台無しになってしまう。 怖いのは「降りれないゲーム」に参加させられることだ。

ソーシャルウェブの各サービスプロバイダはユーザをゲームから降ろさないよう腐心している。 そのためにはユーザの「全て」を囲い込んで逃げられないようにするのが最善である。 そういう意味で Google などの企業がやっていることは, 企業としては「利」にかなっている。 でもユーザは本当にそれでいいの? ということだ。

『日経サイエンス』の「ネットが蝕むプライバシー」を読んで以来, 「公開されたプライバシー」について時々考えるようになった。 公開されたプライバシーを守るということは, 私たちが社会の中でいかに自由に振舞えるかということでもある。 もちろんディズニーランド的統制の中で遊べるのならそれでいいじゃないか, という人もいるかもしれない。 降りる必要なんかないじゃないかと。 でもいつだって「包摂」と「排除」は表裏一体の関係なのである。 システム(アーキテクチャと言い換えてもいいが)が人を規定するのではなく, 人がシステムを規定すべきだと私は思う。 たとえそれがかっこ悪くて泥臭い作業であっても。