恐るべき結婚

no extension

いやぁ,これ,今月の #1 tweet だわ。

「結婚は人生の墓場である」と曰ったのは詩人のボードレールだと言われているが,実はこれ「墓場のある教会で身を清めてから、結婚なさい」が間違って伝わったものだそうだ。 してみると「にこさうんど」はニコ動の禊のための人身御供に供されたといえるわけだ。

人身御供は日本の食人習慣と深いつながりがある。 人を食うと言っても「食事」ではなく「祭事」。 つまり「司祭(=ニコ動)」が穢れ(=にこさうんど)を喰らい,さらにその「司祭」を形式的に(あるいは実際に)「殺す」ことで穢れを「祓う」わけ。 「殺す」ことと「祓う」ことは宗教的に同義。 すなわち穢れを喰らった「司祭」を叩く連中も「司祭」と同じ穴のムジナ,というわけ。 人はこうやって「徳」を高めていくんですねぇ。

というわけで,私もこれにあやかって,いろいろと叩いてみたいと思う。

いやぁ,さすがに COOL JAPAN はないわ,と思っていたがやはりそうらしい。

まぁ日経だしね。 ホンマ,日経新聞は虚構新聞以下の下種だよね。 「飛ばす」にしてももう少し芸がないと。 Twitter の「GoogleNews 科学技術」は重宝しているが,ソースが日経だと本気でがっかりする。 迷惑だから外してくれないかなぁ, Google News さん。

あと,「垂直統合」という言葉を安易に使わないで欲しい。 連中がやってるのは単なる「囲い込み」であって「垂直統合」なんかでは絶対にない。 何故ならニコ動も KADOKAWA も自身では何も生み出していないのだから。 生み出しているのはあくまでも作者。 連中は生み出したものを届ける過程で掠りをとってるに過ぎない。 まさに極道だよね。

Apple が垂直統合と言われているのは,ベースが製造業であって,その上にソフトウェアやらサービスやらを自前で乗っけているから結果的にそうなってるだけ。 Amazon や Google に至ってはもう全然ベクトルが違う。 Amazon も Google も「もの」を売ってるわけじゃないからだ(まぁ日本の「アマゾン」だけ見てたら,ただの通販サービスにしか見えないだろうけど)。

今はなき(いや生きてるけど)森山塔さんの「デマコーヴァ」にはこんな台詞がある(うろ覚えでごめん,本は実家にあるのだ。捨てられてるかもだけど)。

「世界がジャングルを囲んでいるのではない。ジャングルが世界を囲んでいるのです」
(「デマコーヴァ」より)

まさに日本はこのデマコーヴァ状態。 自分たちは世界を囲い込めると思い込んでいる。 そんなことでは56億7千万年経っても Amazon や Google には追いつけないだろう(笑)

「人口の相当部分は、フルタイムの仕事に就き、確実にキャリアを積み、安全な人生を歩んでいる。 そこは能力主義が保証された世界であり、男女は平等な関係にあって、カップルの両方が働いている。安定した核家族が形成され、労働時間は長く、夫婦の収入はますます高くなっている。職場と学校には能力主義が浸透し、刑事司法制度には新古典派的な方法が定着している。 それは、人々が信用調査や消費者調査によって格付けされた世界である(これこそなによりも重要な市場である)。 しかし、それが優しく親切な世界であるのは表向きのことに過ぎない。 そこでは職場からレジャーの場にいたるまで、社会統制の網がますます広がっており、そのさりげなさはまるでディズニーランドのようである」
(『排除型社会』 p.60)

前にも書いたが,私はこのディズニーランドのアナロジーがお気に入りである。 もちろんこの言葉はこうつながる。

「しかし、このような中心領域は、今や縮小する一方である。 労働市場で最も増加しているのは、非正規雇用市場の人口である。 そこでは仕事はさらに不安定になり、キャリアへの道は閉ざされ、 人々はよりどころのない人生を送るはめになっている」
(『排除型社会』 p.60)

この『排除型社会』の原書が20世紀末に書かれたものだという点は注目すべきだろう。 日本は20世紀が終わって既に十数年経つというのに,いまだにこの「自己破壊的同調(強迫観念)」から逃れられない。

ニコニコ動画は最初からこの「ディズニー・ランド型統制」を目論んでいた。 今回 KADOKAWA はこの「ディズニーランド」の建設に乗っかったことになる。 KADOKAWA は出版社の中でも割と進歩的(←古語)だと思っていたが,これが「出版「社」としての最適解」だというのなら,レミングもビックリの自傷行為だ。

まぁ真っ先に船長が逃げ出せば大バッシングになるだろうが,乗客までそれに付き合うことはない。 沈む船からはネズミも逃げ出すものだ。 「音楽業界がなくなっても音楽は残る」ように「出版社がなくなっても出版は残る」のである。

以上,悪口終わり。

photo
排除型社会―後期近代における犯罪・雇用・差異
ジョック ヤング Jock Young
洛北出版 2007-03
評価

後期近代の眩暈―排除から過剰包摂へ リキッド・モダニティ―液状化する社会 スティグマの社会学―烙印を押されたアイデンティティ コミュニティ 安全と自由の戦場 暴走する世界―グローバリゼーションは何をどう変えるのか

by G-Tools , 2014/05/20