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non-human person の「人権」

アルゼンチンの裁判所でオランウータンを「人間ではない人(non-human person)」であると認める判決を下した。 このニュースは NHK でも流れたようで,微妙に反響があったようだ。

ここで判決の是非については言及しない。 いや,政治的要素が多すぎるし,そんな考察は私には無理だから(笑)

ただ non-human person の「人権」についてはいろいろと考えさせられるものがある。 ので,ここでは思いついたことを列挙してみることにする。

(あらかじめ予防線を張っておくと,私は「環境保護(家|団体)」とか「動物愛護(家|団体)」とかいうものに対して悪い意味で偏見を持っているので,その辺を割り引いて読んでいただけると助かる)

まぁ,今どきのテレビ報道は「報道」ではないし,ツッコミを入れるのは不毛なので無視することにして,今回の話については以下の記事のほうが参考になる。

アルゼンチンの控訴裁判所は12月19日(現地時間)、ブエノスアイレス動物園が所有するサンドラについて、誤って自由を奪われている「人間ではない人」(non-human person:personは「法人」にもに使われる言葉)であるとする判決を下した。
ただし、ドイツの動物園で生まれ、野生のオランウータンならまだ母親と一緒に生活している幼いころにあたる20年前にアルゼンチンに送られたサンドラには、完全な自由が与えられることはない。一生を捕らわれの身で過ごしてきたサンドラが、野生の状態で生きていける可能性は低いからだ。
代わりに、もし動物園側が、閉廷日を除く10日以内に判決に対する異議を申し立てなければ、サンドラはブラジルにある自然保護区に送られることになる。
アルゼンチンの裁判所、オランウータンに「人権」を認める « WIRED.jpより

というわけで,ただ独善的に動物を「助け」て放逐するわけではない(多分)という点はくぎを刺しておく。

(ちなみに non-human person という名前は動物愛護活動家の作ったものらしい。

「この決定は、動物保護運動の新たな1章を記すものです」と、インド動物保護組織連盟のプジャ・ミトラは『Deutsche Welle』紙に語った。「わたしたちは、運動の間に広く周知した科学的証拠のおかげで、『人類ではない人』という概念をもち込むことに成功しました」。
インドがイルカを「人」と認めた « WIRED.jpより

その根拠となる「科学的証拠」とは

科学者のなかでローリ・マリーノは,決定的な実験の結果を報告した。彼女はクジラ目の動物の脳が,特にコミュニケーションと学習に関する部位において発達していて複雑であることを示した。彼女の研究によって,イルカが完全に人間と類似した自意識レヴェルをもつことが示された。
インドがイルカを「人」と認めた « WIRED.jpより

なんだそうだ。 この発想なら脳を持ち,少なくとも雌雄関係や親子関係でコミュニケーションを行う動物は全部知性を持つと言えるんじゃないかな。 そもそも知性の根拠を脳に求めるという時点でお笑い草だけど。 今では当たり前のように聞く「環境問題」という名前もそうだが,問題意識に名前を付けることは活動を行う上で非常に重要なのだと改めて気付かされる)

確かに(類人猿とはいえ)ヒト(human)でないオランウータンに「人権」がある,というのは違和感がある(私は違和感を感じた)。 違和感を感じるのは,人権を含むいわゆる「自然権」がヒトに根差すものであるとの刷り込みがあるのかもしれない。 しかし,そもそも自然権が法学上の「方便」であることは皆さん承知のことだろう(ちなみに「方便」というのは仏教用語で「悟りに至る道」すなわち「般若(prajna)」と同義である)。 ならば,人権がヒト以外に拡張される可能性は考慮しなければならない。

おそらくこの議論には2つの方向性があると思う。 ひとつはヒト以外の地球上の動植物を non-human person と見なしうるのか,という方向。 もうひとつはヒト以外の「異質の知性」をどうとらえるか,という方向である。

前者に関しては,世界には既に様々な判例があるようだ。 たとえばインドにはイルカを non-human person と見なす判例がある。

アメリカでもチンパンジーを non-human person と見なすよう求める訴訟があるが,これは最新の判決で否決されている。

NhRPの主張は、チンパンジーにも権利があるというものだ。チンパンジーは人間にこれほどよく似ているのだから、完全な人権とまではいかなくても、少なくともいくつかの基本的な権利を認めるべきだという主張だ。
しかし、12月4日(米国時間)に下された最新の判決は、原告側の敗訴となった。ニューヨーク州の最高裁判所は、知性や感情をもっているとはいえ、チンパンジーは権利をもつ者に期待される社会的義務を果たすことができないと結論付けたのだ。
アルゼンチンの裁判所、オランウータンに「人権」を認める « WIRED.jpより

どうやらポイントとなるのは「知性」の有無とその個体が「社会的義務」を果たしうるかどうか,ということらしい。

サンドラは non-human person なのに自由が奪われているという。 でもそれは実は逆なんじゃないのか。 ヒトの尺度で見たときにサンドラは「自由が奪われている」ように見えるだけなんじゃないのか。

「自由」というのはヒトの社会システムに於いてはじめて文脈が成立する。 「ヒトのシステムはヒトの「自由」を奪う」という前提があるからこそヒトは「自由」を希求する。

とすれば,サンドラをはじめとする「異質の知性」を non-human person と見なしてヒトのシステムに包摂しようとするのは,動物虐待と同じくらい,ヒトの傲慢なんじゃないのか。

最初から「知性」と認識されているものならどうだろう。 SF 的には例えば ETI(Extra-Terrestrial Intelligence; 地球外生命体)なんかがそうだろうが,むしろ AI(Artificial Intelligence; 人工知能)等で考えたほうがより身近かもしれない。

そもそもこの話題でブログ記事を書こうと思ったのは,以前に紹介した「ロボット法学会」のコミュニティでこの話題が紹介されていたからだ。 つまり「AI が non-human person と見なされるのなら AI の作った製品に製造物責任が問われるのか」といったことである(この文の AI を ETI に置き換えたら受ける印象が変わるかもしれない)。

オランウータンのサンドラもロボットの AI も,ヒトの外部に存在する「異質の知性」とどう向き合うかという問題に帰着するのではないだろうか。 私たちは私たちが長い時間をかけて構築した社会システムとその中にある「人権」という概念に慣れすぎていて,それはもうほとんど刷り込みのようになっている。 しかし,ヒトの外部にも「知性」が存在する(存在し得る)ということを私たちはようやく認知した。 これは新しい事態である。

もしかしたら動物愛護活動家たちは,自分たちの主義・主張を正当化するために non-human person という言葉を使っているだけなのかもしれないが,これはおそらくそんなレベルの話ではない。 なぜなら「人権」の拡張は「人権」が根ざしている(と私たちが思い込んでいる)ものを根底から覆す可能性があるからだ。 これは例えば「自由」という概念も変わる可能性があることを示唆する。

こういった思考は50年前なら「空想科学」のお遊びだったが,今やリアルな問題意識として突きつけられているのかもしれない。

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乙女アトラス (2) ノーラコミックス
竹本 泉
学習研究社 1998-09
評価

ととある日のクル (ダイトコミックス 317) よみきりものの... ヒトライフ (ビームコミックス) よみきりものの... 北国楽園 (ビームコミックス) ねこめ〜わく 5 (眠れぬ夜の奇妙な話コミックス)

地球人も宇宙から見れば non-human person(笑)

reviewed by Spiegel on 2014/12/27 (powered by G-Tools)