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神道について復習

現在,自分のマシンの中を整理しているのだが,「神道について復習」というタイトルのテキストが出てきた。 なにこれ。

どうやら2006年の「インドから靖国を見る」という記事を見て何か書こうとしたらしい。 覚えてないなぁ。 内容は確かに私が書くような変な内容だけど。 過去記事を漁ってみたけど,この記事を公開した形跡がない(もしかしたら今は無き Vox にアップしたかもしれないけど,当時の記事は破棄してるからなぁ)。

というわけで,せっかくなので,多少アレンジして公開してみる。 ちなみに「インドから靖国を見る」の更に元ネタになっている “Why Yasukuni hurts” という記事は既にリンクが失われている。

神道について復習

神道について『神道入門』を参考に簡単に復習してみる。

国のシステムとしての「神社神道」は律令制度成立の頃まで遡る。 このときに作られた神祇制度がそれである。 神祇制度によって各地でバラバラに祭られていた神がひとつの体系に組み込まれ統一されていった。

(言い方を変えると律令制度成立以前には「神道」は存在しなかったということになる。 あったのはその土地の原始宗教としての「神」である)

しかし律令制度の弱体化と共に古代神祇制度も崩壊し15世紀には完全に消滅する。

一方,中世においても大きな力を持っていたのは密教を中心とした顕密体制で,弱体化した神社がそれらに組み込まれていく。 顕密体制の構造は

第一に、鎮魂呪術的基盤の上に密教による全ての宗教の統合が行われる。 第二に、それを前提として、各宗固有の教理や種々の教説、そして各流派の作法が成立する。 第三に、そうした仏教各宗(八宗)が世俗社会からその正当性を公認されて、一種の宗教的秩序を形成する。
神道入門より

というもので,「この構造の中に神社は包摂」されていったのである。 この状況の中で唱えられたのがあの「本地垂迹説」である。 一応解説しておくと「本地垂迹説」は「神は仏(本地)が化身として現れたもの(垂迹)」という考え方だ。 以後,神社は仏教色を強めていく。 ご神体である鏡に仏像を彫り込んだり(御正体という),もっとあからさまにご神体に仏像を祭ったり,ご神体に向かってお経を唱えたり,等など。

人を神として祭ることは昔から行われていたが(菅原道真とか平将門とか),より積極的に行われるようになったのは近世あたりからのようである。 当時実質的に神職を統括していた吉田神道が権力者(豊臣秀吉とか徳川家康とか前田利家とか毛利元就とか島津斉彬とか)などを神として祭ることを推進していたらしい。 一般に日本では人の都合で神を簡単に合併・分割(合祀・分祀)ができるが,戦死者を合祀するようになったのは近代以降らしい。 靖国神社もそのひとつだが,全国にある護国神社も戦没者などを合祀している。

こうした動きとは別に,神道を定義しなおす動きも中世以降に見られるようになる。 先に述べた「本地垂迹説」的な考え方を理論的に裏付けようとしたのが両部神道および伊勢神道である。 両部神道の成立には密教僧侶が大きく関わっていて,伊勢神道はその両部神道の影響を大きく受けている。 しかし一方で吉田神道が台頭してくると共に「反本地垂迹説」の考え方も顕著になってくる。 それに加えて江戸時代から儒学が盛んになり,これが神道と結びついて様々な学派神道が登場する。

江戸時代には本居宣長などによる国学研究が盛んになるが(国学というのは近代になってからの呼び名で当時は和学・古学・本学などと言ったらしい),この国学研究の過程において日本固有の道あるいは古伝を仏教理論や儒学理論によらずに理解しようという動きが出てきた。 更にこれに重なるように復古神道が台頭してくる。 復古神道では,神道こそが万法の根本であって仏教や儒学はその枝葉に過ぎない,といった考え方をする(今時流行りの言い方をするなら神道原理主義?)。 復古神道およびその神道家は明治維新以後も大きな影響を及ぼす。

神社神道は明治維新において大きな転機を迎える。 1868年の神仏分離令である。 神仏分離令によって神社と寺院,神職と僧侶が分離された。 また仏像をご神体としたり神仏習合的な祭神も禁止された。 また1871年の太政官布告で神社が「国家の宗祀」と位置付けられ社家職の世襲が廃止される。 つまり神職の公務員化である。 また古代神祇制度を参考に新たな神社制度も作られた。 こうした流れの中で神社は祭儀に専念するようになり,布教・教化から遠ざかり「脱宗教化」していく。 一方で教化は後述する教派神道が担うようになる。

もちろんこれらの動きはある日突然ポッと出てきたものではなく,上で述べた各種の学派神道の影響を受けている。 また幕末以降教団神道がたくさん登場してくる。 最初に述べたように,これらの中で明治維新の宗教行政の影響を強く受け組織化されたものを教派神道と呼ぶ。

明治維新に登場した「国家神道」なるものはある日突然ポッと出てきたように見えるが,実際には江戸時代に登場した復古神道の流れをくむものである。 しかも(“Why Yasukuni hurts” でも指摘されているが)当時の「国家神道」は宗教とは見なされず,全ての日本人は生まれながらに神道に属していた。 当然教育の現場でも神道的な世界観を宗教として教えることは出来なかった。 ここにひとつの歪みがある。

参考文献

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神道入門 日本人にとって神とは何か (平凡社新書)
井上 順孝
平凡社 2006-01-12
評価

国家が個人資産を奪う日 (平凡社新書 681) 競争社会アメリカ (中公新書) 日本の15大同族企業 (平凡社新書 516) 現代政治学の名著 (中公新書) 哲学マップ (ちくま新書)

神道の「宗教」としての位置づけや神道の歴史について網羅的に書かれている。

reviewed by Spiegel on 2015/03/01 (powered by G-Tools)