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  <title>Remark -- Baldanders.info</title>
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  <description>主に戯れ言・雑感など</description>
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<item rdf:about="http://www.baldanders.info/spiegel/log2/000406.shtml">
  <title>Street View のアレ 2</title>
  <link>http://www.baldanders.info/spiegel/log2/000406.shtml</link>
  <description>MIAU は静観を決め込むのかと思ったらシンポジウムを開いたらしい。</description>
  <dc:subject>Remark</dc:subject>
  <dc:creator>Spiegel</dc:creator>
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  <content:encoded><![CDATA[<p>
MIAU は静観を決め込むのかと思ったらシンポジウムを開いたらしい。
</p><ul>
<li><a href="http://miau.jp/1219397839.phtml">シンポジウム「Google ストリートビュー"問題"を考える」開催</a></li>
<li><a href="http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0808/28/news032.html">「Googleストリートビュー」は何が問題か――MIAUがシンポ</a></li>
<li><a href="http://internet.watch.impress.co.jp/cda/news/2008/08/28/20682.html">「ストリートビュー」はどこが問題か、MIAUシンポジウムで議論</a></li>
</ul><p>
<a href="http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0808/28/news032.html">INTERNET Watch の記事</a>のほうが簡潔で分かりやすいかな。
間の悪いことに，
ちょうど仕事で納品タイミングと重なっていたために Twitter に質問するのも忘れていたのだが，
記事を見る限りはネットでやりとりされている内容以上のものはなさそうである。
でも，
その筋の方々がしゃべられたというのは説得力があるし，
今後の議論の材料にはなりそうである。
せっかくなので現時点で思っていることをつらつらと書いてみる。
なお，
私は GSV 許容派（あるいは GSV にプライバシー問題など存在しない）なので，
その辺色をつけてみてほしい。
</p><p>
GSV を批判する人の記事を読むと
（全てがそうだというわけではないが）
感情が先走りすぎて剣先が鈍っているような印象を受ける内容が多い。
なんちうか，
子どもがオモチャ売り場の前で泣き叫んで駄々をこねているような感じ？ あるいはマスターベーションにはまる思春期の子？ 佐々木俊尚さんは
<a href="http://japan.cnet.com/blog/sasaki/2008/08/26/entry_27013200/">「グーグルは永らく「身内」だった」</a>
と書かれているが，
ネットでわざわざ駄々をこねる人は，
いまだに Google を「身内」だと思ってるんじゃないだろうか。
もちろん Google は企業であり（私たち消費者から見れば）「よそ者」であり完全なる他者である。
企業の倫理はバランスシートの上に構築される。
企業の信用は法令によって担保される。
企業と消費者の間にはツーもカーも存在しない。
<a href="http://sho.tdiary.net/20080827.html#p01">「「Googleが」法律を守っているかどうかなんて、正直どうでもいい話なんだよ」</a>
などとのたまう人もいるが，
そういう口上を述べる人を日本では「やくざ」と言う。
</p><p>
ついでに書いてしまうが，
現時点で GSV が日常生活のセキュリティ・リスクを大きくすることはない。
空き巣や（車やバイクなどの）窃盗を行う人たちは人目と時間を気にする。
侵入する家が通りから見えにくいとか，
家人の生活パターンとか，
近所の様子とか，
そういったものから総合的に判断する。
GSV 程度の画像でそれを判断するのは無理というものである。
現状では，
これまで言われている空き巣等のセキュリティ・リスクへの対策以上のものは必要ない。
現実的でない脅威に対応しようとする（対応するふりをする）のはセキュリティ・リスク・マネジメントの観点から最もやってはいけないこと（かつセキュリティ対策企業がよくやるマッチポンプ広告）のひとつである。
ましてや<a href="http://sho.tdiary.net/20080816.html#p01">「偶然撮影された裸体を全世界に公開される」</a>ことはリスクでもなんでもない。
定量的に評価できないものはリスクとは呼ばないし，
定量的に評価できないものをトレードオフなどできるわけがない。
この方は<a href="http://spiegel.vox.com/library/book/6a00c22527e6f3604a00d09e60a0dabe2b.html">件の本</a>のいったいどこを読んだというのだろう。
甚だ疑問である。
なお，
今は問題なくても将来的にリスクが変わることはありうるので油断してはいけない。
</p><p>
GSV に対する反応は色々あるが，
極端に言っても「GSV 便利だし別にいいじゃん」と考える人と「気持ち悪い」「無礼」と考える人くらいだろう。
しかし両者の差はたかだか文化的差異の問題であり，
文化的差異は市場社会のもとに包摂される。
そして企業はその市場社会を駆動するエンジン（のひとつ）である。
「文化的差異は市場社会のもとに包摂される」ということは，
その差をもって善悪の判断はできないということだ。
Google は evil なことをしないことをモットーにしているそうだが，
ここでいう evil は，
あくまで企業倫理に照らした自己評価であることを忘れてはいけない。
</p><p>
もし，
GSV を止めさせたい（または活動規模を縮小させたい）と考えるのなら，
企業倫理の上から圧力をかけるべきだ。
すなわち，
消費者との合意の上で GSV を運営していくことはコストに見合わないと思わせるのである。
<a href="http://www.baldanders.info/spiegel/log2/000404.shtml">以前も書いた</a>が，
GSV のポイントは
「ちゃんとフィードバックが働いているかどうか，
公開される画像に対して（プライバシーを晒すような）意図的な選択が行われていないか，
あるいは自動処理されるぼかし等が正しく機能しているか」
といった点を監視していくことである。
どうも最近伝え聞く話では，
その辺がちゃんと機能していないように思えるので，
ツッコミ所はたくさんあるだろう。
（念のために書いておくが，
Google には毎日新聞に対してやったような動員戦術は通用しないと思うぞ）
</p><p>
Google の目的はハッキリしている。
それは「世界中のあらゆる情報をグラフ化する」ことである。
その情報はネットの中にあるものだけではなくリアルの世界にある情報も同等である。
だから Google は紙の書籍をスキャンしようとするし，
街並みの全てをも「スキャン」しようとしているのである。
紙の書籍をスキャンする際には著作権という縛りが存在する。
街並みをスキャンする際にもプライバシー権や肖像権等の縛りが存在する。
日本の場合，
それ以外にも様々な問題がありそうである。
そういった問題をちゃんと「言語化」していかないと Google や他の「よそ者」には決して伝わらない。
GSV の “問題” として個人的に関心があるのはこの点である。
</p><p>
かつて「環境問題」は存在しなかった。
近代以降，
先進工業国が外部化していったリスクやコストを自分たちの側に引き受けること（つまり社会的責任）によって，
はじめて「環境問題」は顕在化し「言語化」されていったのである。
同じように GSV にも内在する「言語化」されない問題があるように思えるのである。
</p><p>
さて，
これからどうなるやら。
</p>]]></content:encoded>
</item>

<item rdf:about="http://www.baldanders.info/spiegel/log2/000405.shtml">
  <title>MTOS 4.21</title>
  <link>http://www.baldanders.info/spiegel/log2/000405.shtml</link>
  <description>Movable Type Open Source 4.21 へアップグレードした。</description>
  <dc:subject>Remark</dc:subject>
  <dc:creator>Spiegel</dc:creator>
  <dc:date>2008-08-22T22:50:18+09:00</dc:date>
  <cc:license rdf:resource="http://creativecommons.org/licenses/by/2.1/jp/" />
  <content:encoded><![CDATA[<p>
Movable Type Open Source 4.21 へアップグレードした。
</p><ul>
<li><a href="http://www.movabletype.jp/opensource/getting-the-source.html">MTOS のダウンロード</a></li>
</ul><p>
なんか毎回ダウンロードページが分からなくて探し回るんだよなぁ。
もちっと分かりやすくしてください ＞ 中の人
</p><p>
ついでに <a href="http://www.movabletype.jp/plugins/mixicomment.html">mixiComment</a> なるプラグインを導入してみた。
<a href="http://developer.mixi.co.jp/openid/spec">mixi は OpenID 2.0</a> のようだ。
mixi OpenID の認証は，
通常のユーザ認証のほかにマイミク認証とコミュニティ認証が使えるようだが，
今回はユーザ認証を使っている。
<a href="http://www.movabletype.jp/plugins/mixicomment.html">mixiComment</a> のソースコードを見ると，
ちょっと記述を追加すればマイミク認証も使えるっぽいけど，
うちのサイトでマイミクだけ許可するのは意味がないし，
そもそもメンテが面倒そうなので弄らないことにする。
</p><p>
しかし，
これって，
かつて NIFTY-Serve のフォーラムやパティオが Web へ拡散して消滅していったように，
mixi OpenID も友達関係ダイアグラムやコミュニティが外部へ拡散していけば，
mixi に束縛される理由もなくなるわけで，
最終的には PC ユーザが mixi から足抜けするきっかけになっちゃうんじゃないのかな。
で，
残るのは OpenID なんか知ったこっちゃない（そしてプロバイダによるコントロールが容易な）ケータイ・ユーザのみになる，
と。
ケータイ・ユーザならターゲティング広告も展開しやすいだろうし。
案外その辺が狙いなのかもなぁ...
</p>]]></content:encoded>
</item>

<item rdf:about="http://www.baldanders.info/spiegel/log2/000404.shtml">
  <title>Street View のアレ</title>
  <link>http://www.baldanders.info/spiegel/log2/000404.shtml</link>
  <description>ブログにまで書くことかどうか悩んだけど，
面白いテーマだし覚え書きとして残しておくことにする。
（追記あり）</description>
  <dc:subject>Remark</dc:subject>
  <dc:creator>Spiegel</dc:creator>
  <dc:date>2008-08-09T14:05:00+09:00</dc:date>
  <cc:license rdf:resource="http://creativecommons.org/licenses/by/2.1/jp/" />
  <content:encoded><![CDATA[<p>
ブログにまで書くことかどうか悩んだけど，
面白いテーマだし覚え書きとして残しておくことにする。
いわずと知れた Google Map の Street View のことだ。
</p><ul>
<li><a href="http://internet.watch.impress.co.jp/cda/news/2008/08/05/20489.html">「ストリートビュー」のプライバシー問題、グーグルが方針説明</a></li>
</ul><p>
個人的には，
これを「プライバシー問題」として捉えている点が気になった。
Tumblr でのやり取りを見てもそう考えている人は多そうである。
（特に日本では）プライバシー（権）自体がかなり微妙な問題なのに，
何の注釈もなくそう言いきってしまうというのは危険ではないのか。
</p><p>
先に上げた記事ではこのように書かれている。
</p><blockquote>
「　撮影地点については、
「撮影する道路は公道からに限っており、
私道や敷地内に入っての撮影はしていない」と説明。
また、映っている人の顔については自動認識によりぼかし処理を行っており、
米国では車のナンバープレートなどについても一部処理を行っているが、
日本では解像度の問題でほとんど識別できないと思われるため、
現時点では顔以外には自動的な処理は行っていないとした。<br />
　ただし、
こうした処理が完全ではない場合もあるため、
問題のある画像については報告してほしいと説明。
また、
報告用のページでは、
プライバシーに関する画像として「人の顔」「ナンバープレート」「自宅」といった項目が設けられており、
自宅の画像が公開されたくないという要望についても、
メールのやりとりなどで確認が取れれば対処していくとした。」
</blockquote><p>
つまり，
こうしたフィードバックを含めた全体が Street View のサービスであることは頭に入れるべきだ。
（実際に<a href="http://www.flickr.com/photos/25386005@N02/2744399430/">削除された画像もある</a>ようだ）
</p><p>
ところで Street View が収集している路地の写真にプライバシーの問題があると考える根拠としては，
「家（の中）を撮られる」ことに対する嫌悪感があるらしい。
もちろん，
自宅等の写真の中にプライバシーに関する情報が写り込むことは考えられる。
しかしこの場合でも Google に申請して削除してもらうことは可能だし，
そもそも「嫌悪感」の矛先はそういった個々の事例に関するものではないらしい。
これについては以下の記事が分かりやすいだろう。
</p><ul>
<li><a href="http://www.higuchi.com/item/385">Google の中の人への手紙 [日本のストリートビューが気持ち悪いと思うワケ]</a></li>
</ul><p>
以下に一部引用してみる。
</p><blockquote>
「ところが日本の都市部生活者は逆で、
家の前の生活道路、
いわゆる路地のほうが感覚的には自分の生活空間の一部、
庭先なのです。
日本の都市部では、
家の前の公道を掃いたり、
打ち水をしたり、
雪かきをしたりするのが居住者のつとめとされています。
下町を歩いているとよくわかるけれど、
家の前の路地に鉢植えとかちょっとした物置とかをはみ出して置いてあるのもその感覚の表れです。」
</blockquote><p>
たぶん私が田舎出身だからそう思うのかもしれないが，
路地が生活空間の一部というのには共感できるが，
それがプライバシー問題と直結するとは思えない。
なぜなら，
その「生活空間」はご近所等の地域コミュニティの共有空間であって私的空間ではないからだ。
喩えるならそれは古い家にある「土間」と同じ。
土間は家の中に作られているけど，
実はご近所の人たちとの共有空間の一部になっている。
たとえ家人が留守であっても，
近所の人が土間に入り込んでお茶してるなんてのは日常風景であった。
つまり，
その「生活空間」に入ってくる Street View という「異物」は私的空間を侵すものではなく，
ご近所という共有空間を侵してくる。
これはプライバシーの問題とは思えないけど，
（もしかしたら）日本特有の密な空間とその外部との関係について議論するきっかけになるんじゃないかと興味を持っている。
それはおそらく日常のセキュリティ管理にもインパクトを与えるはずである。
</p><p>
もっとも私は，
この件を都市部よりもむしろ地方の町村に特有の問題だと思っていたが，
上述の引用を見る限り，
認識が甘かったようである。
田舎に比べて「異物」としての他者が「生活空間」に入り込むことが普通になっている都市部（先日の秋葉原で起きたアレなど典型的だろう）では，
多くの人が物理的にも私的空間の情報を外部に漏らさないような対策（防犯対策もこれに含まれる）を行っているものだと思っていた。
これはこれで非常に興味深い。
</p><p>
もうひとつ，
私自身は思ってもみなかったのだが，
Tumblr を眺めていて興味深いと思ったのは，
Google という企業そのものを「悪（evil）」とみなす言説である。
例えば以下の記事など典型的だろう。
（といっても，
この記事は皮肉かマジか判りかねるところがあるので，
例としては適切ではないかもしれないが）
</p><ul>
<li><a href="http://sociologbook.net/log/200808.html#eid305">ストリートビューと管理社会</a></li>
</ul><p>
しかしこの記事には誤解がると思う。
もちろん「社会」における個々のプレイヤーの中には（他者も含めた）プライバシー（権）と引き換えに利便性を得ようとする人もいるかもしれないが，
プライバシー（権）は決して利便性とのトレードオフの対象になるものではないし，
そうすべきではない。
この記事で言う「管理社会」がどのようなものか。
<a href="http://www.baldanders.info/spiegel/log2/000401.shtml">以前の記事</a>でもちょっと紹介したけど，
今読んでいる
<a href="http://spiegel.vox.com/library/book/6a00c22527e6f3604a00fa9686a70e0002.html">『排除型社会』</a>
の中で「保険統計主義」という言葉が出てくる。
少し長いが以下に引用してみる。
</p><blockquote>
「後期近代社会における社会統制の基調にあるもの、
それは「保険統計主義」である。
すでにみたように〔第2章の表2-2（一一九頁）〕、
ここでは正義を追求することよりも被害を最小限にすることが求められている。
そして犯罪や逸脱の原因を探ったところで犯罪という社会問題は解決しないとみなされている。
保険統計主義の中心にあるのはリスク計算である。
それは精度の高い確率論的解析であり、
そこで注意が向けられるのは問題の原因ではなく、
その問題が起こる蓋然性である。
保険統計主義にとって重要なのは、
正義ではなく、
被害の最小化である。
それが目的とするのは、
世界から犯罪をなくすことではなく、
損害を最小限にする効果的手段である。
それが追求するのは、
ユートピアをつくりだすことではなく、
敵意に満ちたこの世界に塀で囲まれた小さな楽園をできるだけ多くつくりだすことである。」
（p.170）
</blockquote><p>
ここで最初に引用した Google の説明を読み返して欲しい。
そうすれば，
少なくとも Street View に関しては，
Google の態度が保険統計主義の観点から「悪」ではないと言えると思う。
もちろん，
だからといって「Google は善だから全然 OK」と言ってるわけではない。
そもそも管理社会の基調である保険統計主義は今ある事象に対して善か悪かを論じることに意義を見出さない。
移ろいゆく状況を評価してリスクを最小化しベネフィットを最大化するポイントを探っていくだけである。
</p><p>
言い方を変えようか。
<a href="http://d.hatena.ne.jp/essa/20080808/p2">「安心社会から信頼社会への移行をグーグルが強制している」</a>
という意見もあるようだが，
その人（または集団・組織）が信頼できるかどうかということはもはや問題ではなく，
社会的に信頼を担っている人（または集団・組織）がその役割を果たしているかどうかが問題なのである。
今回のケースで言うなら，
ちゃんとフィードバックが働いているかどうか，
公開される画像に対して（プライバシーを晒すような）意図的な選択が行われていないか，
あるいは自動処理されるぼかし等が正しく機能しているか，
といったことを厳しく監視していくことには意義があると思うが，
システムそのものに対する「気持ち悪い」とか「無礼」とかいった批判は，
もはや効力をもち得ないと思う。
</p>]]><![CDATA[<p>
（8/10 追記）
</p><p>
<a href="http://www.kotono8.com/2008/08/10google_streetview.html">「グーグル・ストリートビューに儀礼的無関心を求めるのは筋違い」</a>
を読んで知ったのだが，
</p><blockquote>
「東京防犯センターの斉藤明広代表はJ-CASTニュースに対し、「ストリートビュー」の登場によって犯罪が増加するかは不明との見方を示した上で、
<blockquote>「侵入犯罪に使われる可能性は十分にある。侵入しやすい地域や逃げ道をある程度把握することができる。（侵入犯にとって）物色するのには便利だ」</blockquote>
と指摘している。」<br />
（<a href="http://www.j-cast.com/2008/08/06024765.html">何でも見れちゃう「ストリートビュー」　ドロボーの物色に「悪用の危険性」</a>）
</blockquote><p>
とかいう意見があるらしいが，
防犯上の弱点が見えたからといって「見える」ことを非難するのは，
セキュリティ管理上の観点から最初の1フィートで間違ってる，
と指摘しておこう。
ここでやるべきことは弱点の補強である。
空き巣等の犯罪者は人目と時間を気にする。
ポイントを抑えた防犯対策を施しておけば，
Street View から見えようが見えまいが関係ない。
この「東京防犯センター」とやらはホンマに大丈夫なのか？
</p>]]></content:encoded>
</item>

<item rdf:about="http://www.baldanders.info/spiegel/log2/000403.shtml">
  <title>行動を「名寄せ」しようとするレコメンデーション</title>
  <link>http://www.baldanders.info/spiegel/log2/000403.shtml</link>
  <description>私の中で思考が右往左往してしまい収拾がつかなくなってしまったので，
これを書きながら一度整理してみる。</description>
  <dc:subject>Remark</dc:subject>
  <dc:creator>Spiegel</dc:creator>
  <dc:date>2008-08-02T09:49:53+09:00</dc:date>
  <cc:license rdf:resource="http://creativecommons.org/licenses/by/2.1/jp/" />
  <content:encoded><![CDATA[<p>
例によって Tumblr での話をまとめてみる。
っていうか，
いろいろ勘違いしていた部分もあって，
私の中で思考が右往左往してしまい収拾がつかなくなってしまったので，
これを書きながら一度整理してみようという試みである。
</p><p>
きっかけは以下の記事。
</p><ul>
<li><a href="http://japan.internet.com/busnews/20080729/8.html">ヤフーとオーバーチュアの新広告「インタレストマッチ」が注目を集める最大のポイントとは？</a></li>
</ul><p>
記事を読めば分かるが，
ここで言う「インタレストマッチ」はターゲティング広告を指している。
</p><blockquote>
「インタレストマッチは、Web ページ閲覧中のユーザーの興味・関心にマッチした広告を配信する、いわゆるコンテンツ連動型広告に近い。しかし、これまでのコンテンツ連動型広告は、 Web ページのコンテンツを解析しページの内容に合った広告が自動的に配信されていたのに対し、インタレストマッチは、それに加え、過去の閲覧ページや直前の検索履歴、性別・年代・地域などのユーザープロパティ情報、配信の曜日・時間帯を加味し広告が配信される。すなわち、これまでのコンテンツ連動型広告に比べ、さらにターゲティングの絞り込まれた、高い効果を見込める広告と言えるだろう」
</blockquote><p>
ターゲティング広告自体は昔からある。
不特定多数に満遍なく露出させるのではなく，
より対象を絞り込むことで（ターゲティング），
消費者によりリーチしやすい広告展開を行うのがターゲティング広告である。
これが旧来のマスメディアを使った広告との差別化になっていて，
それ故に各サービスプロバイダは自サービスにターゲティング広告を組み込もうとするわけだ。
</p><p>
ターゲティング広告には色々なやり方がある。
いちばんありふれているのは「サイト・ターゲティング」と呼ばれる手法で，
コンテンツ連動型広告なんかがこれに当たる。
またブラウザ閲覧者（以降「ユーザ」と呼ぶ）のプロパティ（属性）を使うターゲティング広告もある。
mixi のターゲティング広告はこのタイプだ（ここを私が勘違いしてしまったのが混乱の始まりなんだよなぁ）。
サイト・ターゲティングはあくまで表示されるコンテンツと連動したものだし，
プロパティを使ったターゲティングも特定のサービスの中のみで行われるのが建前である。
</p><p>
これに対し，
cookie 等を使ってユーザ（厳密にはユーザが使用するブラウザ）を特定し，
サイト・サービスを跨いでユーザの行動を追跡するのが「行動ターゲティング」だ。
「行動ターゲティング」でもっとも有名な（悪名高い）のが web bug である。
これが発覚した当時，
web bug はかなり議論になっていて，
アメリカのプライバシー保護団体は <a href="http://www.bugnosis.org/">web bug を検出するツール</a>を公開したりと大変なことになっていた。
web bug の評判が悪かったのは追跡用のオブジェクトに不可視の画像データを使っていたからだ。
このオブジェクトをページ上に置いてユーザに踏ませることで隠密裏に行動履歴を収集していた。
文字通りの<a href="http://www.baldanders.info/spiegel/log/200306.html#d07_t2">「bug （盗聴器）」</a>（っていうかソナーかな？）だったわけだ。
今でも基本的に「行動ターゲティング」のやり方は web bug と同じだけど，
かつての批判を受けて，
こっそり収集するようなことは少なくなった。
そこで今では web bug ではなく web beacon と呼ばれている。
web bug あるいは web beacon による特定のサイト・サービスを超えた情報収集は，
プライバシーの観点からは確かにリスキーではあるけれど，
行動履歴のキー情報（識別情報）が実際のユーザの固有情報と結びつかないのであれば許容できなくもないかもしれない。
</p><p>
さて，
ここでもう一度「インタレストマッチ」の内容を見てみると，
上で述べた3つの手法が全て取り入れられているのが分かる。
しかもユーザ情報（識別情報と属性情報）と行動履歴情報が結合してしまっているのが凶悪である。
Yahoo! Japan は<a href="http://techtarget.itmedia.co.jp/tt/news/0610/13/news01.html">サービス内においては既にターゲティング広告を展開</a>していて，
今回の「インタレストマッチ」を加えることで更なる相乗効果（サービスの外への影響力の行使とより確実なターゲティング）を狙っていると思うのだが，
果たしてユーザはそれを許容するのだろうか。
</p><p>
行動ターゲティングとユーザ情報とのマッチングは今後増えていくものと思われる。
ケータイ分野では早速「iモードID」を使ったターゲティング広告事業が発表されている。
これは「iモードID」によって，
ユーザが何のサービスに加入していなくても，
ただ Web を巡回するだけで確実に契約者単位で情報収集されてしまう点が「インタレストマッチ」よりも凶悪である。
</p><blockquote>
「NeoAdは、携帯電話の3キャリアで展開する広告サービス。広告のクリック履歴やリファラーを元にしたユーザーの行動分析や、掲載サイトのコンテンツ解析によるマッチングを元に広告を配信する。なおユーザーの行動分析は、NTTドコモが携帯電話番号に付与するユニークID「iモードID」を利用することで実現可能となったという」<br />
（<a href="http://japan.cnet.com/marketing/story/0,3800080523,20376895,00.htm">ウノウ子会社のサノウ、「iモードID」などを利用したモバイル向け広告サービスを運用開始</a>）
</blockquote><p>
海外で有名なのは Facebook Beacon だろう。
</p><blockquote>
「Facebook Beaconとは、Facebookの友人がサイトで商品を購入するなど何らかの行動を起こした場合に、それが友人に通知されるという機能。SNSの新たな広告キャンペーン戦術として注目されていたものだ。しかし、気が付かないうちに自分の行動が友人に通知される可能性があることから、プライバシー団体や一部のユーザーから激しい反発を受けていた」<br />
（<a href="http://internet.watch.impress.co.jp/cda/news/2007/12/03/17709.html">米Facebook、物議を醸していた「Beacon」プログラムを変更</a>）
</blockquote><p>
Facebook は Facebook Beacon をオプトアウト方式で提供していた上に無効にする設定が分かりにくい状態になっていた。
ユーザの反発を受け Facebook は Facebook Beacon をオプトイン方式に変更せざるを得なかったらしい。
この辺は佐々木俊尚さんの以下の記事が参考になる。
</p><ul>
<li><a href="http://www.itmedia.co.jp/anchordesk/articles/0712/25/news037.html">レコメンデーションの虚実（15）～Facebook Beaconはいつかは受け入れられるのか？</a></li>
</ul><p>
この記事では Facebook Beacon をレコメンデーションの一種とみなして分析されている。
自分の行動を口コミ情報として自動的にばら撒いていく Facebook Beacon はまさに「Viral Marketing （感染性マーケティング）」を文字通りに実装してしまった感じである。
</p><p>
自分の好きなものや興味のあるものに関連する商品を「おすすめする」といえば聞こえはいいが，
レコメンデーションというのはぶっちゃけて言うなら「印象操作」の一種だ。
<a href="http://www.scj.go.jp/">日本学術会議</a>の報告
<a href="http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-20-h60-2.pdf">「電子社会における匿名性と可視性・追跡可能性－その対立とバランス－」（PDF）</a>
によれば，
現代的プライバシー権は
「自己情報コントロール権」（right to control one's own information）
なのだそうだが，
自己情報をコントロールできるどころか自己情報によって（環境管理型に）コントロールされてしまっているというのは皮肉な話ある。
</p><p>
おそらく Facebook が目指しているのはユーザの囲い込みと（環境管理型）コントロールであるが，
同じことは Yahoo! Japan にも言える。
佐々木俊尚さんの2006年の以下の記事では Yahoo! Japan が目指しているものがはっきり分かる。
</p><ul>
<li><a href="http://www.itmedia.co.jp/anchordesk/articles/0610/27/news051.html">ポータルビジネスはソーシャル化されるのか？（上）</a></li>
</ul><p>
要するに mixi のような SNS が持っている「友達関係ダイアグラム」の機能を Yahoo! Japan にも持たせて，
ユーザおよびユーザが吐き出す情報の囲い込みをやろうとしているのである。
この方針が現在も変わらないのなら，
「インタレストマッチ」を得た Yahoo! Japan が Facebook Beacon のような口コミ型のレコメンデーション機能を実装してくるのは時間の問題だろう。
「行動ターゲティングとユーザ情報とのマッチング」にはこれほどの破壊力があるのである。
</p><p>
ネットにおいては「流通」の意味が変わりつつある。
ネット以前における「流通」とは「経路（routing）」の問題であったが，
いまや「流通」とは「注目（attention）」の問題を指す。
私に言わせれば DRM やユーザや情報の囲い込みに固執するサービスプロバイダは，
かつて流通が経路問題だった頃の残滓を捨てきれない懐古趣味者である。
「口コミ」にしても，
それがオープンな場で展開されるから情報として価値を生むのであって，
管理された場で無理矢理起こす「口コミ」なんてのは所詮「感染性マーケティング」に過ぎない。
問題は，
そんなもんを「利便性」と称し，
更に「利便性とのトレードオフ」という言葉を盾に「自己情報のコントロール」を手放すことが本当にユーザにとってベネフィットになっているのか，
ということだ。
それこそ「印象操作」ではないのか，
というのが目下の私の懸念である。
</p>]]></content:encoded>
</item>

<item rdf:about="http://www.baldanders.info/spiegel/log2/000394.shtml">
  <title>コメントを Twitter へ投稿する</title>
  <link>http://www.baldanders.info/spiegel/log2/000394.shtml</link>
  <description>うちでも設置してみました。</description>
  <dc:subject>Remark</dc:subject>
  <dc:creator>Spiegel</dc:creator>
  <dc:date>2008-06-22T09:47:38+09:00</dc:date>
  <cc:license rdf:resource="http://creativecommons.org/licenses/by/2.1/jp/" />
  <content:encoded><![CDATA[<p>
<a href="http://kengo.preston-net.com/archives/003745.shtml">「ブログのエントリーへのコメントを Twitter に投稿できるボタン」</a>
を見てなるほどと思い，
うちでも設置してみました。
まぁ，
私が follow している人しか確認できないわけですが
（周辺サービスを使えば見れるんでしたっけ？），
あったら面白いかなぁ，
と思いまして。
OpenID でサインインしてコメントするよりは敷居が低いかと。
</p><p>
ちょっとしたことですが，
こういうのっていいですよね。
Vox でもやらないかな。
</p>]]></content:encoded>
</item>

<item rdf:about="http://www.baldanders.info/spiegel/log2/000393.shtml">
  <title>「まなざし」としての監視</title>
  <link>http://www.baldanders.info/spiegel/log2/000393.shtml</link>
  <description>それでも私は 予告.in はとてもよい実装だと思う。
それは，
このサービス自体がネットというシステム上の「まなざし」として機能し得るからだ。</description>
  <dc:subject>Remark</dc:subject>
  <dc:creator>Spiegel</dc:creator>
  <dc:date>2008-06-21T20:21:16+09:00</dc:date>
  <cc:license rdf:resource="http://creativecommons.org/licenses/by/2.1/jp/" />
  <content:encoded><![CDATA[<p>
佐々木俊尚さんの記事
<a href="http://japan.cnet.com/blog/sasaki/2008/06/20/entry_27002871/">「暗黙共同体へ－秋葉原事件で考える」</a>
の中で
</p><blockquote>
「ブログ「アンカテ」のessa氏は、
<a href="http://d.hatena.ne.jp/essa/20080615/p1">深い絶望を検知するそのソフトは赤木論文に反応するだろうか？</a>というエントリーで、
犯罪予告の検知ではなく、
人の絶望を検知するソフトの開発を期待している」
</blockquote><p>
と書かれているのだが，
本気で言っておられるのだろうか。
私にはあの記事全体が皮肉であり反語であるように読めるのだけど。
essa さんの真意はともかく，
「インターネット上の犯罪予告を検知できるソフトウエア」が「「絶望」を検知するソフト」であるなら，
そりゃあ言論統制に他ならないだろうと思ったりする。
</p><p>
ゼロ億円をかけて（笑）作られた <a href="http://yokoku.in/">予告.in</a> には致命的な問題がある。
それは検知後の通報の仕組みがないことだ。
開発者の<a href="http://d.hatena.ne.jp/satoru_net/20080613/1213344343">矢野さとるさんの記事</a>によると
</p><blockquote>
「でも流石にいちどに何度も通報するのは、迷惑がかかるらしく、<br />
パトカーも地域に４台しかないから、むやみやたら通報しないでね♪と、<br />
すごく優しい顔で言われた。(´∀｀*)ﾎﾟｯ」
</blockquote><p>
とあって腹を抱えて笑ってしまった。
（ちなみに<a hrf="http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0806/11/news071.html">「「ネット上の殺人予告は110番を」　警察庁、通信業界団体に要請」</a>ということになっている）
<a href="http://www.baldanders.info/spiegel/log2/000391.shtml">前にも書いた</a>が，
この手のシステムで重要なのは，
検知から通報，
通報から対処までの一連の流れを確立することであり，
これは <a href="http://yokoku.in/">予告.in</a> だけではどうしようもない。
それこそ，
ン億円をかけて是非作ってもらいたいところである。
情報というのは滞留すればそこで腐ってしまうものだ。
（最近の <a href="http://yokoku.in/">予告.in</a> を見ると Web 上でできる通報フォームってのもあるらしいが，
<a href="http://d.hatena.ne.jp/satoru_net/20080619/1213804199">こんな感じ</a>らしい）
</p><p>
まぁでも見方を変えれば，
警察は「犯行予告」を検知することに本気ではないとも言える。
ほとんどの「犯行予告」は悪戯だろうし，
「○○を襲撃する」とか言うのなら備えることもできるかもしれないけど，
これが例えば「秋葉原でその辺の人を殺す」とかいった漠然としたものなら，
その地区全体に外出禁止令を出すとかしない限り対処のしようがない
（もちろん本気かどうかも分からん書き込みにそんなことができるわけもない）。
でも今はマスコミも騒いでるし無視するわけにもいかないので，
ただのいたずら書きに適当な罪をくっつけてしょっ引かざるを得ないんじゃないだろうか。
んでもって，
それで捕まえたら，
まるで社会現象であるとでも言わんばかりに更にマスコミが書きたてるわけだ。
これは少し前に流行した硫化水素自殺と同じく，
マスコミという装置によるマッチポンプ広告なのである。
なんのための広告？ もちろん視聴率を稼ぐための広告である。
</p><p>
<a href="http://www.baldanders.info/spiegel/log2/000391.shtml">前にも書いた</a>とおり，
今回の事件は個人的な動機に基づく個人的な犯行である。
essa さんは<a href="http://d.hatena.ne.jp/essa/20080615/p1">「自分の絶望が理解されないだろうという絶望」</a>の中で
</p><blockquote>
「「誰かに見つけてほしいけど」の部分が無ければ、
そもそも公開の掲示板に書き込むということはしないでしょう。
彼はわずかながら最後の希望を持っているわけです。」
</blockquote><p>
と書かれているけど，
ログをチラッと見た限りではとてもそんな風には見えない。
彼の場合，
単に自己評価の低さを他の者（物）に転嫁しているだけだ。
しかも自分自身で決めた行動すら誰かに（何かに）転嫁せずにはいられない。
だからこそあの場で彼は予告してみせているのである。
そうすれば，
「自分の行動を誰も止めなかった」と他者に転嫁できるからだ
（もし本当にそうなら，いかなる説得をしても彼を止められなかっただろう）。
周りはそれにまんまと乗っかる形で派遣先や派遣会社が悪いとか雇用政策が悪いとかオタクなのが悪いとか親が悪いとか言っちゃってるわけで，
そう言ってる連中も，
結局のところ，
犯罪を犯した彼と「同じ穴のムジナ」なのである。
</p><p>
「自分の絶望が理解されないだろう」ことは決して絶望なんかじゃない。
それは他者への理解の第一歩であり，
重要な「悟り」なのである。
この悟りを経て人はようやく他者を他者として認識することができる。
そう，
今「悟り」と書いたように，
これは誰かから与えられる類いのものではなく（それ故に誰かが救えるなどという発想は傲慢である），
自らの意思で獲得しなければならない。
</p><p>
それでも私は <a href="http://yokoku.in/">予告.in</a> はとてもよい実装だと思う。
それは，
このサービス自体がネットというシステム上の「まなざし」として機能し得るからだ。
</p><p>
かつて商店街などに設置される監視カメラについて議論があったとき，
ある方が言われた
「監視カメラは「ご近所のまなざし」として機能し得る」という言葉
（多分。うろ覚え。ごめんなさい）
に膝をうったおぼえがある。
<a href="http://yokoku.in/">予告.in</a> もある意味で監視サービスである。
監視はそれ自体がサービスの利用者に対し暗黙的な抑圧または強迫を押し付ける。
そして監視は，
多くの場合，
他者の行動を支配（コントロール）する目的で使われる。
しかし，
それが「まなざし」であるなら話は変わってくる。
「まなざし」は支配することと同じではない。
</p><p>
どんな人間関係であれ，
必ず両者の間には一定の距離があるものだし，
距離感に応じた付き合い方ってものがあるはずだ。
でも（これが日本人的な発想なのかどうか分からないが）どうも人間関係を考えるときって「関係があるかないか」の2択になってしまっているように思える。
言ってみれば「密着」と「排除」の2通りのコミュニケーションしかとれない。
佐々木俊尚さんの
<a href="http://japan.cnet.com/blog/sasaki/2008/06/20/entry_27002871/">「暗黙共同体へ－秋葉原事件で考える」</a>
でもそんな印象を受ける。
</p><p>
（この辺の論考については<a href="http://www.miyadai.com/index.php?itemid=651">宮台真司さんの記事</a>の中にある
</p><blockquote>
「「格差社会がもたらす絶望」云々の議論は完全な出鱈目じゃないが、周辺要因です。<br />
最大の問題は社会的包摂性で、これは格差に還元できない社会的相続財産の問題です。」
</blockquote><p>
という部分が一番納得できた。
ちなみに社会的排除と社会的包摂については
<a href="http://www.seikatsuken.or.jp/database/files/n200608-115-003.pdf">「社会的包摂政策を推進する欧州連合」</a>（PDF）
が参考になった。
この件についてはも少し勉強してから）
</p><p>
でも人間関係というのは（よほど特殊な関係でもない限り）「密着」でも「排除」でもないのが普通でしょ。
Twitter なんかだとそれがよく見える。
関係があるかどうかってのはシステムの手続き上の問題であって，
それがどんな関係であるかについては更に別のレイヤの問題である。
</p><p>
システムにおける関係者の視線が「まなざし」であって，
それは相互監視として機能する。
ちょうど<a href="http://www.baldanders.info/spiegel/log/nikki-s/200205.html#2603">「人々が闇夜に持つランタン」</a>のように。
「まなざし」によって今回のケースが予防できるとは思えないが
（っていうか，あれをアーキテクチャでなんとかできると考えるほうが無茶），
「まなざし」がもたらすものによって（完全な支配は無理にしても）ネット上の行動を少しだけ「ずらす」ことができるはずで，
そのずらされた部分の集積を「規範」と呼んでもいいんじゃないだろうか。
</p>]]></content:encoded>
</item>

<item rdf:about="http://www.baldanders.info/spiegel/log2/000392.shtml">
  <title>自動化するタブロイド・ジャーナリズム</title>
  <link>http://www.baldanders.info/spiegel/log2/000392.shtml</link>
  <description>あまりにもバカらしいのでブログに書くつもりはなかったが，
あまりにあまりなのでちょっと書いておく。</description>
  <dc:subject>Remark</dc:subject>
  <dc:creator>Spiegel</dc:creator>
  <dc:date>2008-06-15T13:21:19+09:00</dc:date>
  <cc:license rdf:resource="http://creativecommons.org/licenses/by/2.1/jp/" />
  <content:encoded><![CDATA[<p>
あまりにもバカらしいのでブログに書くつもりはなかったが，
あまりにあまりなのでちょっと書いておく。
</p><ul>
<li><a href="http://japan.cnet.com/blog/sasaki/2008/06/14/entry_27002476/">同じ空間を共有できていたのか－－秋葉原事件の撮影について</a></li>
</ul><p>
私はジャーナリストではないが，
佐々木俊尚さんのこの記事にほとんど同感であることを最初に宣言しておく。
</p><p>
はっきり言って私はその手の画像や映像は悪趣味に感じられて見る気がしない。
Web というのはその気がなければ見ないふりをすることのできるメディアであり，
件の映像を公開する人も，
それを見て批判がましいことを言う人も悪趣味なナルシシズムであるという点において大差ない。
しかし，
この手の話を個人に帰結するような展開に持っていってもしょうがない。
なぜならそれは，
システム（系）として出来上がっているものであり，
もはや否認は無意味だからである。
</p><p>
いまでも時々涌いて出る「はてブ」のコメント批判や，
最近では<a href="http://d.hatena.ne.jp/solar/20080605#p1">ランキング依存の話</a>（<a href="http://d.hatena.ne.jp/solar/20080614#p1">続き</a>もある）などを見て頭に思い浮かぶのは
「自動化するタブロイド・ジャーナリズム」というフレーズだ
（ちなみに私は本屋のランキング棚は華麗にスルーである。いや見ても全く食指が動かんので）。
タブロイド・ジャーナリズムというのはセンセーショナリズムのことだが，
「タブロイド」というメタファがお気に入りなのでこちらの表現にしてみる。
世の中に溢れている情報のほとんどはタブロイド・ジャーナリズムの産物だ。
枝葉末節をセンセーショナルに増幅して見せているだけのマッチポンプ広告である。
</p><p>
「タブロイド・ジャーナリズム」という言葉が生まれた当時と今との違いは，
語り手と受け手，
供給者と消費者が本質的に等価であり（両者の違いはプロセスの違いでしかない），
しかも増幅を受け持っているのは主に受け手・消費者側のプロセスであるという点だ。
そしてその増幅装置が「ランキング」というアテンションであり，
その具体的な実装が，
ネットで言えば，
「はてブ」やその他のレコメンデーションであると言える。
</p><p>
ここで重要なのはタブロイド・ジャーナリズムの中身を今更批判して見せてもしょうがないということだ。
何故なら批判そのものがタブロイド・ジャーナリズムの一部を構成してしまっているからだ
（もちろんこの記事も例外ではない。だから「バカらしい」んだけどね）。
「マスコミは野次馬根性を隠すための共同幻想装置」であるのと同じく，
私たちは同じ幻想の中で「自動化するタブロイド・ジャーナリズム」という装置の中に絡めとられているのである。
ここを出発点としない限り，
あらゆる（大抵は嫌悪感に根ざした）批判はマスターベーションと変わらないものとなってしまう。
</p><p>
そういえば
（毎度同じ本の紹介ばかりで恐縮だが）
今読んでいる
<a href="http://spiegel.vox.com/library/book/6a00c22527e6f3604a00e398cbd0070005.html">『嗜癖する人間関係』</a>
に，
こんな恐ろしい記述がある。
</p><blockquote>
「もし人びとが、
ロマンス嗜癖と向き合い回復を選択するなら、
たぶん経済的な反動が起こるでしょう。
映画は変わり、
全体として新しい焦点が発達してくるかもしれません。
空想と現実の間により明白な境界線が引かれ、
空想はそういうものとして明確に認識されるでしょう。
もし印象操作があまり有効でなくなると、
化粧品、
服飾品、
美容整形外科などは明らかに影響を受けるでしょう。」
（p.101）
</blockquote><p>
私たちのいる（幻想）世界はそういうところである。
</p>]]></content:encoded>
</item>

<item rdf:about="http://www.baldanders.info/spiegel/log2/000391.shtml">
  <title>他にすることがあるだろう？</title>
  <link>http://www.baldanders.info/spiegel/log2/000391.shtml</link>
  <description>青少年保護を方便に「有害情報」とやらを隠そうだの，
犯罪の未然防止とやらでン億円をかけて自動検知システムを作ろうだの，
もはや日本は狂ってるとしか思えない。</description>
  <dc:subject>Remark</dc:subject>
  <dc:creator>Spiegel</dc:creator>
  <dc:date>2008-06-14T22:23:59+09:00</dc:date>
  <cc:license rdf:resource="http://creativecommons.org/licenses/by/2.1/jp/" />
  <content:encoded><![CDATA[<p>
青少年保護を方便に「有害情報」とやらを隠そうだの，
犯罪の未然防止とやらでン億円をかけて自動検知システムを作ろうだの，
もはや日本は狂ってるとしか思えない。
ここでは tumblr で書き散らしたことをまとめてみる。
</p><p>
ネットに犯行予告が書かれていたのに未然に防げなかったとか，
バッカじゃないの。
考えてみるがいい。
その辺の掲示板とかに「これから○○をぶっ殺す」とか書いているとして，
そこにある内容を誰が本気にするというの？ ネットには単なるストレスの発散を目的とした奴や，
今回のような本気の告白まで無数の反社会的な「便所の落書き」で満ち満ちている。
今回のケースは早速模倣者が現れ逮捕されてる人もいるみたいだけど，
もし掲示板の書き込みだけで（威力業務妨害とやらで）逮捕されているんだとしたら，
それって言論弾圧じゃねーのって思ってしまう。
石原都知事は「警察力強化で防げる問題じゃない。人間の内面の問題だ」とおっしゃったそうだけど，
日本は今更『1984年』を目指しているのか？ それとも平安末期の「禿（かぶろ）」を再現するつもりなのか？
（法律に関しては素人なので違っているかもしれないが）
</p><p>
「犯行予告」を検知するシステムを作る前にやることがあるだろう。
大事なことは通報された情報をどのように扱うかだ。
情報のほとんどはガセか冗談だろうし，
そんなものにまでいちいち対応するほど日本の警察は人が余っているのか？ しかも110番って，
あーた orz
</p><p>
よろしい。
「犯行予告」を検知するシステムの要件について考えてみよう。
検知するのに必要な要件は以下のとおりだ。
</p><ul>
<li>あらゆるサービス（掲示板だけ見ててもダメ）を網羅し，大量に処理できること</li>
<li>受動的失敗（この場合は「犯行予告」を見落とすこと）が少ないこと</li>
<li>能動的失敗（この場合は誤検知やウソの「犯行予告」に対応してしまうこと）が少ないこと</li>
</ul><p>
検知であれフィルタリングであれ，
この手のシステムの肝は抽出（または排除）する情報の S/N 比をどう設定するかという点に尽きる。
今回のケースであれば，
S/N 比を上げれば受動的失敗が増え，
S/N 比を下げれば能動的失敗が増える。
今回のような犯行予告は普通はノイズの中に埋もれている。
つまり受動的失敗（すなわち見落とし）が許されないのであれば S/N 比を低めに設定するしかないのである。
どこの企業か知らないが，
総務省に数億円で提案されたシステムは
「通常とは異なる急激な書き込みの増加や、自殺や殺人予告などの言葉を使った議論の流れなどを分析し、犯罪につながるような情報を認知できるようにする」
ものらしい。
おそらくそういう技術を導入することによって S/N 比を上げようってことだと思うけど，
それでふるい落とされた情報の中に本物の「犯行予告」が存在する可能性を排除できないのなら，
あまり意味のない機能であるといえる。
こう考えると，
「<a href="http://yokoku.in/">予告.in</a>」のような割り切った設計のほうが筋がいいのでは，
と思う。
</p><p>
問題は検知した情報をどう扱うかだ。
そもそも通報が110番というのがダメすぎる。
それで<a href="http://d.hatena.ne.jp/satoru_net/20080613/1213344343">警察がわざわざその画面を見に来る</a>とか，
ありえないでしょ。
ネット上の事象なんだからネットの上で処理するのが効率的。
くだらない自動検知システムなんか作る前に，
通報自体を自動化するシステムを作るほうが先でしょうが。
金のかけ方を間違ってるよ。
その上で通報された情報をアーカイブ化し，
各都道府県の警察が照会できるようにすればいい。
ここまでは自動または半自動でできるはずだ。
情報が正しいかどうかの判定，
それに対してどのように対応するかといったことは各都道府県の警察の仕事だ。
多分専門のセクションが必要になるだろう。
</p><p>
今回のケースをテロ扱いするのはどうかと思う。
私は地方在住者だから余計にそう思うのかもしれないが，
客観的に見れば今回のケースは「その辺の兄ちゃんがキれて暴れた」というだけの話。
それで殺されてしまった方々には本当に気の毒だと思うけど（故に犯行者に同情する余地はない），
事件そのものになんら特殊性はない。
個人的な動機に基づいた個人的な犯行だ。
それをテロと呼ぶのなら，
世の中の全ての犯罪はテロってことになる。
もちろん，
特別な誰かではない「その辺の兄ちゃん」がやらかしたってことに関する社会背景はあるのかもしれないが，
それは別次元の議論だろう。
派遣業との絡みが取り沙汰されているけど，
私が経営者なら，
派遣社員にそんなリスクがあるのならとっとと切るよ。
自分の社員でないものをなんで腫れ物みたいに取り扱わなきゃならないの？
</p><p>
あと，
掲示板上で説得すれば未然に防げたかも，
なんて話もあるみたいだが，
個人的には怪しい気がする。
彼の書き込んだログはチラッと見たけど，
「人間関係アノレキシア（拒否症）」に嵌ってるんじゃないかと勘繰ってしまう。
人間関係アノレキシアについては，
今読んでいる
<a href="http://spiegel.vox.com/library/book/6a00c22527e6f3604a00e398cbd0070005.html">『嗜癖する人間関係』</a>
に記述がある。
</p><blockquote>
「アノレキシアというのは、
人間関係に取り憑かれた人々を含めて、
人間関係の回避に取り憑かれた人々のことです。
ここで私は、
独りでいることを快く感じる「孤独者」や親密にならない選択をする人については除外するつもりです。
人間関係を望みながら人間関係に取り憑かれて、
人間関係を回避するためなら何でもする人のことを取り上げます。
嗜癖の鍵は強迫です。
これらの人びとは恐怖を抱いていたりおびえているように見えます。
人間関係を結ぶべきとか、
カップルの相手になるべきとか感じていながら、
心の底ではそれらを恐れています。
これらの人間関係嗜癖者たちは、
強迫の深みに入るにつれ、
どんどん孤立してゆきます。
決して嗜癖者とは見破られず、
また中核嗜癖を隠すために別の嗜癖（たとえば化学物質）を利用するかもしれないのです。」
（p.111）
</blockquote><p>
彼の場合，
自己評価の低さと他者への転嫁が裏表になって現れているところが，
いかにも嗜癖問題っぽい。
要するに彼は「嘆きのヒーロー」を演じることに耽溺してしまっているわけだ。
まっ心理学とか精神分析については素人だからまるっきり違うかもしれないけどねー
</p>]]></content:encoded>
</item>

<item rdf:about="http://www.baldanders.info/spiegel/log2/000386.shtml">
  <title>MTOS 4.2 RC 1</title>
  <link>http://www.baldanders.info/spiegel/log2/000386.shtml</link>
  <description>Movable Type Open Source の 4.2 RC1 がリリースされているようなので早速導入してみる。</description>
  <dc:subject>Remark</dc:subject>
  <dc:creator>Spiegel</dc:creator>
  <dc:date>2008-05-31T00:03:18+09:00</dc:date>
  <cc:license rdf:resource="http://creativecommons.org/licenses/by/2.1/jp/" />
  <content:encoded><![CDATA[<p>
<a href="http://www.movabletype.jp/beta/42/">Movable Type Open Source の 4.2</a> RC1 がリリースされているようなので早速導入してみる。
パフォーマンスが向上したらしいのと OpenID 2.0 に対応したらしい。
さて，
どんな感じかな。
</p><p>
ふむ，
ページのビルドは若干速くなったような。
おおっ Yahoo! の OpenID が使えるぢゃん！ よーし，うむうむ，よーし。
</p><p>
ついでに，
自分のサイトの URI から Yahoo! の OpenID へ delegation できるようにしておく。
OpenID 1.1 では以下のように指定していた。（例は <a href="http://www.openid.ne.jp/">OpenID.ne.jp</a> を使った場合）
</p><blockquote>
<pre>&lt;link rel="openid.server" href="http://www.openid.ne.jp/user/auth" /&gt;
&lt;link rel="openid.delegate" href="http://<em>username</em>.openid.ne.jp/" /&gt;</pre>
</blockquote><p>
OpenID 2.0 の場合は以下のように指定すればいいようだ。（例は Yahoo! の OpenID を使った場合）
</p><blockquote>
<pre>&lt;link rel="openid2.provider" href="https://open.login.yahooapis.com/openid/op/auth" /&gt;
&lt;link rel="openid2.local_id" href="http://www.flickr.com/photos/spiegel" /&gt;</pre>
</blockquote><p>
Yahoo! の OpenID を使う場合は，
openid2.local_id に Yahoo! から与えられた識別子（identifier）を使う。
Flickr のアカウントを持っている人は識別子に Flickr の URI を追加できる
（Yahoo! Japan の OpenID ではダメだと思う。
っていうか Flickr のアカウントを持っている人は既に Yahoo! のアカウントと連動している筈なので，
わざわざ Yahoo! Japan の OpenID を使う意味がない）。
上の記述例は追加した Flickr の識別子を指定している。
デフォルトの識別子は長ったらしくて使う気にならない。
どうにかならんか，
あれは。
</p><p>
1.1 と 2.0 の記述は併記できるようだ。
そういや <a href="http://www.openid.ne.jp/">OpenID.ne.jp</a> サイトには<a href="http://blog.ptlabo.net/index.php?id=08030086">脆弱性があった</a>はずだけど... なおってねーな。
あと Yahoo! の OpenID を使っている人は Phishing 除けに「ログインシール（Sign-In Seal）」を活用すべし。
（シールの有無でニセサイトかどうか判別できる。
ただしシールはマシンごとに指定する必要がある。
これでどこまで効果があるかは分からんけど...）
</p><p>
よし，
これで OpenID 運用は 2.0 ベースへ乗り換えだな。
1.1 が必要な場合は Vox のアカウントを使えばいいか。
</p>]]></content:encoded>
</item>

<item rdf:about="http://www.baldanders.info/spiegel/log2/000384.shtml">
  <title>「自分探し」は止めなくてもいい</title>
  <link>http://www.baldanders.info/spiegel/log2/000384.shtml</link>
  <description>面白い記事があったので，
あの話をもう一度。</description>
  <dc:subject>Remark</dc:subject>
  <dc:creator>Spiegel</dc:creator>
  <dc:date>2008-05-16T20:02:17+09:00</dc:date>
  <cc:license rdf:resource="http://creativecommons.org/licenses/by/2.1/jp/" />
  <content:encoded><![CDATA[<p>
面白い記事があったので，
<a href="http://www.baldanders.info/spiegel/log2/000376.shtml">あの話</a>をもう一度。
</p><ul>
<li><a href="http://beauty-and-akiba.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/post_5a25.html">あなたも私も自分探し病　その１</a></li>
<li><a href="http://beauty-and-akiba.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/post_6955.html">あなたも私も自分探し病　その２</a></li>
<li><a href="http://beauty-and-akiba.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/post_d037.html">あなたも私も自分探し病　その３</a></li>
</ul><p>
（以降，まだ続いている）
</p><p>
<a href="http://beauty-and-akiba.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/post_d037.html">「その３」</a>
では，
私の記事ともうひとつの記事を並べて
</p><blockquote>
「どれも、我々『あいのり』世代の自分探し観と微妙にずれた、彼らの世代の自分探し観を前提として持論を展開し、議論を切り上げてしまっているように思えます。」
</blockquote><p>
と書かれているが，
<a href="http://www.baldanders.info/spiegel/log2/000376.shtml">前にも書いた</a>ように，
私は「自分探し」とか「自己啓発」といったキーワードに強烈なアレルギーがあるため，
議論はちょっと難しいかも。
これから書くことも単なる列挙に過ぎないけど，
まったく無駄というわけではないだろう。
ちなみに
<a href="http://spiegel.vox.com/library/book/6a00c22527e6f3604a00e398e419dc0004.html">『自分探しが止まらない』</a>
の内容についての感想は他所でも書いていて，
そのときは
</p><blockquote>
「個人的に、
この本の欠点と思われる部分は、
あらゆる事象を「自分探し」と結び付けすぎてる点と、
何故「止まらない」かという疑問に対して個々の部分（政治が悪いとか「自分探しホイホイ」な企業・組織が悪いとか）だけを見ていて系全体を見回す視点に欠けている点だと思う。
その結果、
止まらない自分探しをどうにかしたければ自分を変えるしかないという堂々巡りになってしまっている。
要するに『自分探しが止まらない』はそれ自体が自己啓発本なのである。
まぁそういう意味で、
この本は「症状」として面白い本だと思うけどね。」
</blockquote><p>
としている。
以降は，
その辺をもう少し掘り下げてみる。
</p><p>
まずひとつめ。
<a href="http://beauty-and-akiba.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/post_6955.html">「その１」</a>
にある
</p><blockquote>
「答えはどこにあると思いますか？」
</blockquote><p>
という問いに自分なりに答えるなら，
「どこにもない」になる。
答えは探すものではなくて構築するものだからだ。
これが世代的な考え方なのかは分からないが，
この最初のつかみだけでも断絶（？）を実感することができる。
これについては最後に再び言及する。
</p><p>
ふたつめ。
<a href="http://beauty-and-akiba.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/post_5a25.html">「その２」</a>
では
</p><blockquote>
「仕事＝自己実現であり、
答えは自分の中にあるのであり、
就職活動＝本当の自分探しであるという考え方に疑問すらわかない状態です。」
</blockquote><p>
と書かれているが，
一方の私にとっての仕事は，
あくまで（目的を達成するため，あるいは単に食べるための）手段であり，
就職は仕事をするために必要な「社会への適応」だった。
</p><p>
（なぜそうだったんだろうと考えてみるに，
当時は社会が私たち学生に対して「社会への適応」を要請していたからだと思う。
それは超売り手市場のバブル絶頂期でもそうだった。
おそらくこの傾向は上の世代ほど強まるんじゃないのかな。
今って超売り手市場と呼ばれている割には新卒に対してさしたる期待も要請もないように見える）
</p><p>
でもこの違いって（次に書くけど）要するに「自分探し」のモードが違うだけなんだよね。
</p><p>
みっつめ。
多分これがいちばん象徴的。
<a href="http://beauty-and-akiba.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/post_6955.html">「その１」</a>
で書かれている
「これだけは誰にも負けないという何かを、何でもいいから持つべし！」
という価値観に対する奥さんの反論（？）という構図は，
価値観を「強度」におくか「関係性」におくかの違いだろう。
</p><p>
「ねるとん」時代に言われた「三高」も，
「あいのり」で追求される「本当の自分」も，
それが自己の強度の問題である限り「自分探し」は内面に向かうしかない。
これがいきすぎると「ひきこもり」とかになっちゃうわけだけど。
一方，
上で挙げた「社会への適応」は関係性，
すなわち社会に対する自身のポジションをどうするか（どうしたいのか）ということだ。
これはいろんなものに置き換えられる。
友達関係，職場関係，恋人関係，夫婦関係，親子関係等々。
「あいのり」の「本当の私を分かってくれる人」ってのも対象との関係の中に「本当の私」を見出しているってことだろう。
まっ，
これもいきすぎると共依存とかになったりするが。
</p><p>
要するに「自分探し」ってのは症状だ。
自己の強度にこだわりすぎて何も行動を起こせなくなったり，
対象との関係に悩むあまり自己破壊的な行動に走ったりっていうのは（WHO 的な意味で）「健全」とは言えないよね。
逆に「自分探し」が症状であると知った上でうまく付き合っていけるのなら何の問題もないと思う。
ん～，
症状という喩えがピンとこないなら，
こう言い換えてもいいだろう。
「自分探し」ってのはプロセスだ，
と。
</p><p>
ここで最初の話に戻る。
答えはどこにあるのか。
答えとはプロセスにより構築された何かだ。
そういう意味で「自分探し」を止める必要はない。
「探すな決めろ」ってのは答えを決めろってことではなくて，
プロセスを開始せよってことだ。
</p><p>
でもね，
「自分探し」は「条件付け」を受けやすい。
だからカモにされる。
だから私は「自分探し」とか「自己啓発」とかいったキーワードが嫌いなんだよ。
そして
<a href="http://spiegel.vox.com/library/book/6a00c22527e6f3604a00e398e419dc0004.html">『自分探しが止まらない』</a>
もそうした自己啓発本のひとつに過ぎない。
あの本をベースに考える限り，
私には議論以前の問題なのである。
</p>]]></content:encoded>
</item>

<item rdf:about="http://www.baldanders.info/spiegel/log2/000382.shtml">
  <title>VOCALOID の意匠性</title>
  <link>http://www.baldanders.info/spiegel/log2/000382.shtml</link>
  <description>Vox がニコニコ動画に対応するようになって，
アカウントを持っていない私でもようやく VOCALOID を使った作品を視聴できるようになったのだが，
最近は「ぼかりす」っちうのが話題らしい。</description>
  <dc:subject>Remark</dc:subject>
  <dc:creator>Spiegel</dc:creator>
  <dc:date>2008-05-04T10:33:44+09:00</dc:date>
  <cc:license rdf:resource="http://creativecommons.org/licenses/by/2.1/jp/" />
  <content:encoded><![CDATA[<p>
Vox がニコニコ動画に対応するようになって，
アカウントを持っていない私でもようやく VOCALOID を使った作品を視聴できるようになったのだが
（といってもそんなに積極的に視聴しているわけではないが），
最近は「ぼかりす」っちうのが話題らしい。
</p><ul>
<li><a href="http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0805/01/news103.html">初音ミクの“神調教”が自動で!?　「ぼかりす」に話題騒然</a></li>
<li><a href="http://spiegel.vox.com/library/video/6a00c22527e6f3604a00f48cf3a56f0002.html">【初音ミク】 PROLOGUE 【ぼかりす】</a> （Vox への埋め込み）</li>
</ul><p>
これを聴いて連想したのは，
今は亡き<a href="http://magarchive.halfmoon.jp/">Ｍａｇ．さん</a>による MIDI レタッチソフト
<a href="http://magarchive.halfmoon.jp/vector/midiexp/index.html">「MIDI Espressivo」</a>
だったり。
</p><p>
MIDI （Musical Instrument Digital Interface）ってのは，
もの凄く端折って説明すると，
楽器の演奏データを指すもので，
音そのもののデータではない（私は DTM は詳しくないので違ってたらゴメン）。
もっと抽象的に言うなら，
MIDI とは実演そのものを数値化したものと言える。
<a href="http://magarchive.halfmoon.jp/vector/midiexp/index.html">「MIDI Espressivo」</a>
の面白さは演奏（実演）テクニックを「エフェクト」としてライブラリ（部品）化できるところにある。
「ぼかりす」の技術の詳細はまだ明らかになっていないが，
コンセプトとしては
<a href="http://magarchive.halfmoon.jp/vector/midiexp/index.html">「MIDI Espressivo」</a>
と同等のものを感じるのだが，
どうだろう。
</p><p>
「ぼかりす」については私の観測範囲内で以下の文章がよく reblog されているようだ。
個人的にも面白いと思うので，
改めて以下に引用してみる。
</p><ul>
<li><a href="http://slashdot.jp/it/comments.pl?sid=400095&cid=1339090">「「ぼかりす」は初音ミクの神調教を自動化する？」に対するコメント</a></li>
</ul><blockquote>
「ぼかりすは自然すぎて、
VOCALOIDとしてのキャラクター性をスポイルしている気がするんですよね。
無論、
リアルさを求めるなら正しい方向ではあると思いますが、
それなら人間が歌えば良いわけですし。
オリジナルでもカバーでも、
"VOCALOIDの曲"を作るなら、
求められるのは、
曲のコンセプトとVOCALOIDのキャラクター性を基礎においた、
機械っぽさと人間っぽさのバランスの取り方なんだと思います。」
</blockquote><p>
「VOCALOID としてのキャラクター性」とは何かと考えると，
それは意匠性評価の偏りである，
と言い換えることができるのではないだろうか。
</p><p>
VOCALOID といえども所詮楽器であり，
実演に関して10人いれば10色の意匠がありうる。
しかし実際には，
各 VOCALOID には「キャラクター性」が付与されており，
オーディエンスの評価は「キャラクタに沿っているか」で決まる（だから「調教」と呼ばれるんだろうけど）。
キャラクタに沿った実演でなければ，
どんなに上手くても「それなら人間が歌えば良い」ということにしかならない。
</p><p>
そして VOCALOID 実演に関する意匠性評価のこうした偏りは「実演の部品化」を生みやすい。
上述の引用は「ぼかりす」に対するネガティブな意見に見えるが，
そのネガティブな意見の背景にあるものが「ぼかりす」を生み出す土壌にもなっている。
</p><p>
Tumblr では散々書いてるけど，
私は VOCALOID が最終的にもたらすものは「実演の無意味化」だと思っている。
今はまだ VOCALOID は楽器の一種に過ぎず，
その実演には少なからず実演者の意匠性が入り込む。
しかし「実演の部品化」が進めば意匠性の入り込む余地は少なくなっていく。
例えば，
作詞を人工無脳が行い，
作曲を（<a href="http://magarchive.halfmoon.jp/vector/chaos/index.html">「Chaos von Eschenbach」</a>のような）自動作曲ソフトが行い，
それを VOCALOID に唄わせたとしたら，
その作品および実演は「誰」に帰属するのだろう。
</p><p>
ってなことを考えながら内田美奈子さんの『BOOM TOWN』にある数理紫生（かずりしせい）の話を読み返してたり。
</p>]]></content:encoded>
</item>

<item rdf:about="http://www.baldanders.info/spiegel/log2/000379.shtml">
  <title>「狂狷の徒」</title>
  <link>http://www.baldanders.info/spiegel/log2/000379.shtml</link>
  <description>最近，
時事的なネタ以外で面白いと思っているのが白田秀彰さんの「教育制度批判」だ。</description>
  <dc:subject>Remark</dc:subject>
  <dc:creator>Spiegel</dc:creator>
  <dc:date>2008-04-16T19:34:39+09:00</dc:date>
  <cc:license rdf:resource="http://creativecommons.org/licenses/by/2.1/jp/" />
  <content:encoded><![CDATA[<p>
最近，
時事的なネタ以外で面白いと思っているのが白田秀彰さんの「教育制度批判」だ
（<a href="http://wiredvision.jp/blog/shirata2/200803/200803191100.html">その1</a>，
<a href="http://wiredvision.jp/blog/shirata2/200803/200803261200.html">その2</a>，
<a href="http://wiredvision.jp/blog/shirata2/200804/200804021200.html">その3</a>，
<a href="http://wiredvision.jp/blog/shirata2/200804/200804091200.html">その4</a>，
<a href="http://wiredvision.jp/blog/shirata2/200804/200804161100.html">その5</a>）。
</p><p>
以前，
某 SNS （mixi じゃないよ）で道徳教育について知り合いと意見を交わしたことがある。
白田秀彰さんの記事は，
その時の知り合いの意見とよく似ている。
一方，
私はと言えば，
「美しいフィクション」なんか要らないんじゃないかと思ってたりする。
愛国心なんて犬も食わないようなものは端から捨てて，
リテラシーやリスク感覚を身につけるよう義務教育から訓練すべきだと思ってる。
もちろん，
私は私なりに道徳観念や信仰や宗教観のようなものはあるが，
それは全て学校外で身に付いたものだ。
</p><p>
まっ，
今は私の意見は置いておくとして，
もうひとつ「おおおっ」と思った記事がある。
<a href="http://wiredvision.jp/blog/yomoyomo/200804/200804161100.html">「「自由の真の代償」と「自由の真価」 ― サイバースペース独立宣言を越えて」</a>
で紹介されている<a href="http://cruel.org/economist/courier200712.html">「自由の本当のコスト」</a>（<a href="http://www.economist.com/opinion/displaystory.cfm?story_id=9833041">原文</a>）だ。
</p><p>
内容の全く異なるこれら2つの記事を読んで，
私は何故か両者に共通するものがあるように感じた。
それは何だろうと考えて表題のフレーズを思い出した。
</p><p>
「狂狷」というのは論語の中に出てくる言葉らしい。
この言葉を知ったのは実はつい最近で，
NHK でやっていた白川静さんの特集番組（白川静さんは2006年に亡くなられているので追悼番組の再放送かな？）をたまたま観ていた時だ。
あとでググってみたら NHK の番組でおっしゃってたこととほぼ同じ内容の記事を見つけた。
以下に少し引用しておく。
</p><blockquote>
「孔子様はこう言っとる。
「人間というものは中庸を得たものが一番よろしい」と。
まあいわゆる聖人ですわな。
しかし、「現実にはそんな中庸の人間がおるものではない」と。
それでは中庸の人の次にどういう人がいいかというと、
孔子は「狂狷の徒がよろしい」と言うておる。
「狂狷は進みて取る」、
進取の気性です。
世間を変えるには「狂」がなければならない。
そして「狷者は為さざるところあるなり」と。
たとえ一億円の金を積まれても、
わしは嫌じゃということは断じてせんという、
それが「狷」です。」<br />
（<a href="http://yanagihara.exblog.jp/2000824/">「学び続ける　「狂狷（きょうけん）の徒」たれ」</a>より）
</blockquote><p>
「教育制度批判」を書いておられる白田秀彰さんも，
Econimist のあの論説を書かれた方も「狂狷の徒」だと思う。
</p><p>
「世の中を変えたければ自分を変えろ」というのは自己啓発の決まり文句だが，
自分を変えるとはすなわち「狂狷の徒たれ」ということだ。
それがどれだけ覚悟のいることなのか，
2つの記事はそれを生々しく伝えてくれている。
</p>]]></content:encoded>
</item>

<item rdf:about="http://www.baldanders.info/spiegel/log2/000378.shtml">
  <title>本サイトはコンテンツが「有害」でないことを保証しません</title>
  <link>http://www.baldanders.info/spiegel/log2/000378.shtml</link>
  <description>Baldanders.info （以降「本サイト」）では，
サイト内の全てのコンテンツについて「有害」でないことを保証しません。</description>
  <dc:subject>Remark</dc:subject>
  <dc:creator>Spiegel</dc:creator>
  <dc:date>2008-04-13T18:08:57+09:00</dc:date>
  <cc:license rdf:resource="http://creativecommons.org/licenses/by/2.1/jp/" />
  <content:encoded><![CDATA[<p>
<a href="http://www.baldanders.info/">Baldanders.info</a> （以降「本サイト」）では，
サイト内の全てのコンテンツについて「有害」でないことを保証しません。
</p><p>
本サイトはサイト管理者である <a href="http://www.baldanders.info/spiegel/profile/">Spiegel</a> が運営する個人サイトで，
以下に示すポリシーのもとに運営しています。
</p><ul>
<li><a href="http://www.baldanders.info/policy.shtml">Baldanders.info について</a></li>
</ul><p>
本サイトでは特に年齢制限を設けていませんが，
以下の理由によりサイト内の全てのサービス・コンテンツについて「有害」でないことを保証しません。
（なお，
セキュリティ上の欠陥のあるコンテンツ・サービスや Phishing 等の詐欺的な内容は，
今回の「有害」から除外します）
</p>
<h3>本サイトはサイト管理者による表現の場です</h3>
<p>
最近，
いわゆる暴力・アダルトコンテンツや出会い系等のサービスを「有害コンテンツ」として規制しようとする動きがあるようですが，
本サイトでは規制の如何に関わらず，
サイト管理者の個人的趣味により，
これらのコンテンツ・サービスを運営していません。
ただし，
このことは将来にわたって「有害コンテンツ」を掲載・運営しないことを保証するものではありません。
本サイトの目的は「サイト管理者による表現の場を確保すること」であり，
この目的を守ることを最優先とし，
この目的を阻害する要因について，
要因の合法・非合法に関わらず，
排除を目指して活動するものとします。
</p>
<h3>本サイトは双方向コミュニケーションの場です</h3>
<p>
本サイトは，
現在 blog をベースに運営しており，
その本質は双方向のコミュニケーションにあります。
したがってコミュニケーションの過程において「有害コンテンツ」が混入する可能性を排除できません。
前節に述べたように，
本サイトの目的は「サイト管理者による表現の場を確保すること」であるため，
目的に添わないフィードバックについてはサイト管理者の判断で削除しますが，
その判断基準はあくまでもサイト管理者によって決めたもの（<a href="http://www.baldanders.info/policy.shtml">ポリシー</a>に書いています）です。
</p><p>
したがって，
「有害コンテンツ」であるからといって削除するとは限りませんし，
仮に削除する場合でも，
掲載されてから削除するまでの時間差があるため，
あらゆるタイミングで「有害コンテンツ」がないことを保証できません。
もちろん双方向のコミュニケーションそのものが「有害コンテンツ」であるというのなら，
そのような言論弾圧に対し反対をとなえるための手段として，
かえって本サイトの機能を大いに活用することとなるでしょう。
</p>
<h3>コンテンツの読み手の年齢を意識していません</h3>
<p>
本サイトのコンテンツは読み手の年齢を意識していません。
本サイトのコンテンツは，
未成年者がアクセスする可能性を考慮していますが，
未成年者向けに特に表現をチューニングしているわけではありません。
</p><p>
あるコンテンツが有害であるかどうかを判断することは，
それがどのようなものであれ，
表現の自由の侵害であり，
それ故に有害かそうでないかの明確な線引きは不可能であると言えます。
これには2つの意味があります。
ひとつは，
有害かどうかの判断はサービス・コンテンツの送り手と受け手の間で（直接的・間接的に）交わされる「文脈」に依るということ。
もうひとつは，
同じ「文脈」であっても時代と共に判断は移ろうものであるということです。
</p><p>
ネット上のコンテンツは風化しづらく，
あるきっかけで「再発見」されることも珍しくありません。
現時点で「有害」と判定されなくても，
5年10年と経つうちに社会的規範が変化すれば，
「再発見」されたコンテンツが有害であると再評価される可能性もあるのです。
故に本サイトでは，
このような移ろう評価のために表現を曲げることはしません。
</p>]]></content:encoded>
</item>

<item rdf:about="http://www.baldanders.info/spiegel/log2/000375.shtml">
  <title>いろいろ更新＆戯れ言</title>
  <link>http://www.baldanders.info/spiegel/log2/000375.shtml</link>
  <description>Baldanders.info 内を整理。</description>
  <dc:subject>Remark</dc:subject>
  <dc:creator>Spiegel</dc:creator>
  <dc:date>2008-03-08T19:07:26+09:00</dc:date>
  <cc:license rdf:resource="http://creativecommons.org/licenses/by/2.1/jp/" />
  <content:encoded><![CDATA[<p>
<a href="http://www.baldanders.info/">Baldanders.info</a> 内を整理。
</p><p>
まず，
今まで非公開だった Gmail のメールアドレスをフィードバック用に公開した。
フィードバックについては<a href="http://www.baldanders.info/policy.shtml">サイト・ポリシー</a>を参照のこと。
一応メールアドレスの部分は画像にしてるんだけど，
今時こういうのって効果があるんだろうか。
とりあえず筆記体フォントにしてるけど，
人間のほうが読みにくくて機械は楽勝で読めちゃったりして？
</p><p>
<a href="http://www.baldanders.info/spiegel/pubkeys/">運用鍵の2008年版を作成</a>。
毎年 DSA の署名専用鍵のみ作成していたが，
今年から ElGamal/DSA 鍵にした。
メールアドレスを公開したってのが大きいんだけど，
Gmail のメールアドレスは XMPP/Jabber ID としても使えるので，
IM 通信用の鍵としての意味もある。
ちなみに DSA の鍵長は 2048 ビットにしてある。
GnuPG の場合は <code>--enable-dsa2<code> オプションをつけて鍵作成を行うと，
DSA の鍵長を 1024 から 3072 まで選べるようになる。
</p><p>
ルート鍵をどうするかなんだよなぁ。
<a href="http://www.baldanders.info/spiegel/log2/000267.shtml">AHA</a> が決まればそれに合わせて鍵を新調するというのもありかもしれない。
そういえば <a href="http://csrc.nist.gov/groups/ST/toolkit/digital_signatures.html">FIPS PUB 186-3 はまだドラフト状態</a>らしい。
RSA 署名用の鍵生成のアルゴリズムを修正したみたいで，
今年の 2/1 締め切りでパブリックコメントを募集してたそうな。
</p><p>
ついでに <a href="https://mixi.jp/">mixi</a> のプロファイル情報を可能な限り削除した。
やってみてはじめて気付いたんだけど，
性別や生年月日や趣味や自己紹介が必須ってのはおかしな話だよねぇ。
決済が絡むものなら与信情報として性別や生年月日を必須情報とするというのはあるかも知れんけど，
<a href="https://mixi.jp/">mixi</a> 程度のサービスでそんな必然性があるとは到底思えない。
あと，
なんとなく既視感があるなぁ，
と思ったら「はてな」の騒動のときにも同じことやってたな，
私。
当時のアカウントはもう捨てたんだけどね。
（今のアカウントは必須情報がメールアドレスのみでよくなってから以降に作ったもの）
</p><p>
今回の規約改定騒ぎに関連した様々な方の記事を見て思ったのは，
もう <a href="https://mixi.jp/">mixi</a> は日本のネット環境の中でも “one of them” でしかなくなったということだ。
そして「数多あるサービスのひとつ」として <a href="https://mixi.jp/">mixi</a> を見るといかにも寂れた印象がぬぐえない。
確かに <a href="https://mixi.jp/">mixi</a> は国内最大規模のユーザを抱えてはいるが，
それを維持できるだけの魅力がなくなってきているのではないか。
そのことが「格下げ」とその後の株価下落の真意なんじゃないのか。
規約の中身なんて全然本質じゃない。
</p><p>
規約改定騒ぎで人が流動化し，
改訂規約の発行でモノが流動化したとき，
<a href="https://mixi.jp/">mixi</a> 自身に何か残ったりするのだろうか。
「終わりなき日常」を生きるケータイ・ユーザと，
彼等彼女等の間で交わされる ping プロトコルのみだったりして。
まぁ PV が増えるんなら ping でも何でも構わないんだろうけど。
</p>]]></content:encoded>
</item>

<item rdf:about="http://www.baldanders.info/spiegel/log2/000370.shtml">
  <title>Ethic なきガジェット</title>
  <link>http://www.baldanders.info/spiegel/log2/000370.shtml</link>
  <description>今回の PHP 論争（？）は興味深く見させてもらった。</description>
  <dc:subject>Remark</dc:subject>
  <dc:creator>Spiegel</dc:creator>
  <dc:date>2008-02-06T19:37:24+09:00</dc:date>
  <cc:license rdf:resource="http://creativecommons.org/licenses/by/2.1/jp/" />
  <content:encoded><![CDATA[<p>
大体おさまったかな。
今回の PHP 論争（？）は興味深く見させてもらった。
ここでは Tumblr に書きなぐったことをまとめてみる。
ちなみに私の主観を言わせてもらうと，
PHP はあまり好きな言語ではない。
MS の ASP を連想させるデザインは，
私にかつてのトラウマをフラッシュバックさせるからだ。
だからといって仕事で PHP を使えと言われればやるけどね。
</p><p>
誰かが書いていたが，
この手の話題は（形を変えつつも）長周期変光星のごとく定期的に再燃するものだが，
毎回いろいろな発見があって面白い。
</p><p>
今回の論争に加わった人の立場は大雑把に以下のみっつに分かれると思う。
ひとつ目は企業などに勤めてエンジニア（SE 等を含む）の立場にいる人。
私はそれを「職業エンジニア」と呼んでいる。
ちなみに私も職業エンジニアだ。
ふたつ目はハッカーやオープンソース・エンジニア，
あるいは彼らにコミットする人たちだ。
面倒なので全部まとめて「オープンソース・エンジニア」と総称してしまおう。
みっつ目はそれ以外の立場でモノやサービスをカジュアルに作れてしまう人々。
これも面倒なので「ユーザ」と総称してしまう。
もちろんそれぞれの立場は可換で，
しかも複数の立場を兼ねる人もいるだろう。
各立場を頂点とした三角の内部に無限の立場があることは承知しているが，
以降はこのみっつにデフォルメされたプレイヤーを想定して話を進める。
</p><p>
昔からある言語論争のプレイヤーは主に職業エンジニアとオープンソース・エンジニアだった。
両者は持っている倫理観というか気質が異なるためしばしば「宗教論争」になる。
職業エンジニアは企業倫理やエンジニアの社会的責任といったものを重視する（いわゆる「社畜」は除外ね）。
一方でオープンソース・エンジニアには Hacker Ethic と呼ばれるものがある。
しかし今回の論争では，
第3の立場であるユーザが加わっている点が面白い。
</p><p>
以前，
<a href="http://pdl2h.tumblr.com/post/23087053">「『ウェブ時代をゆく』を読む？」への reblog</a> で，
</p><blockquote>
「理系（オープンソース）な運動では、そもそもコーディングができなければ参加できないという明確な閾値が存在した。パソコンでインターネットができる程度では全然ダメで、開発ツールがそれなりに使える程度のリテラシーがなければ参加はできないわけだ」
</blockquote><p>
と返していただいたが，
PHP 等の「初心者向け（？）」言語は確実にその閾値を下げている。
全くないわけではないが，
ASP からレンタルサーバを借りて自前でコンテンツを構築できる人なら PHP 等で遊ぶことは難しくない。
彼らユーザは今までになかったプレイヤーで，
職業エンジニアやオープンソース・エンジニアにとっては想定外の集団だ。
しかもユーザは（職業エンジニアやオープンソース・エンジニアに比べて）量的なパワーを持っている。
ユーザは（職業エンジニアやオープンソース・エンジニアから見ると）初心者と混同されがちだが，
そうではない。
</p><p>
ユーザにとって作ることは消費とイコールで他の2者のような Ethic を持たない。
ユーザの作るガジェットは数も多くバリエーションも豊かで，
そして何より便利だ。
そして作られたガジェットを部品として新たなツールやサービスが組まれる。
まるで無限のピースを持つブロックで遊ぶような感覚だ。
一方で職業エンジニアやオープンソース・エンジニアからみると，
「Ethic なきガジェット」を量産し続けるユーザは非常に危なっかしい存在に見える。
これは以前<a href="http://www.baldanders.info/spiegel/log2/000242.shtml">「本当にヤバいのは「技術者」ではない人達だと思う」</a>でも書いた。
</p><p>
<a href="http://www.rubyist.net/~matz/20080204.html#p02">「ソフトウェア開発における初心者」</a>の内容は興味深いが，
これは実は職業エンジニアの現場に限定される話で，
しかも今ではさしたる問題ではなくなりつつあるように思える。
日本人を1人雇うお金で中国人を（現地で）3人雇うことができる（今はもうちょっと違うかな）。
英語堪能で優秀な SE が欲しければインドから調達すればよい。
「自称初心者の撲滅」と「顧客のソフトウェア開発に対する意識向上」を本気で考えるのなら話は簡単で，
日本人の職業エンジニアを一度全部切り落とせばよい。
そうすれば顧客は本気で自分の要求仕様と向き合わざるを得なくなるし（何故なら「空気」で仕事を進められなくなるから），
「自称初心者」が紛れ込む余地もなくなる。
もちろん「自称初心者」に合わせて初心者向けの言語を要件に入れる必要もなくなる。
要求仕様にあった（言語を含む）プラットフォームを選択し，
そのプラットフォームに向いたエンジニアを調達すればいいのだ（実際，
開発部隊の中心をインドや中国に移す企業は増えている。
導入コストは思った以上にかかるけどね）。
私は，
ゼネコン方式のおこぼれをもらうだけの開発企業と，
更にそこにぶら下がるだけの職業エンジニアはもはや黄昏時だと思う。
現在職業エンジニアの人は所属する企業への依存度を徐々に減らしていかないと，
近い将来本当に潰しが効かなくなる。
</p><p>
とまぁ，
余談はともかく，
以上の問題は「Ethic なきガジェット」を何によって担保するかという点に帰すると思う。
そして，
これはもはや Ethic の問題ではなく Architecture の問題だとみんな気づいているはずだ。
そう考えると，
今回の論争の発端となった記事<a href="http://www.rubyist.net/~matz/20080126.html#p04">「Attacking PHP」</a>に還るんだよね。
</p><p>
その他に参考になったもの：
</p><ul>
<li><a href="http://d.hatena.ne.jp/essa/20080131/p1">自分の経験の枠組みは自分で変えられるか？</a></li>
</ul>]]></content:encoded>
</item>


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