Street View のアレ 2

no extension

MIAU は静観を決め込むのかと思ったらシンポジウムを開いたらしい。

INTERNET Watch の記事のほうが簡潔で分かりやすいかな。 間の悪いことに, ちょうど仕事で納品タイミングと重なっていたために Twitter に質問するのも忘れていたのだが, 記事を見る限りはネットでやりとりされている内容以上のものはなさそうである。 でも, その筋の方々がしゃべられたというのは説得力があるし, 今後の議論の材料にはなりそうである。 せっかくなので現時点で思っていることをつらつらと書いてみる。 なお, 私は GSV 許容派(あるいは GSV にプライバシー問題など存在しない)なので, その辺色をつけてみてほしい。

GSV を批判する人の記事を読むと (全てがそうだというわけではないが) 感情が先走りすぎて剣先が鈍っているような印象を受ける内容が多い。 なんちうか, 子どもがオモチャ売り場の前で泣き叫んで駄々をこねているような感じ? あるいはマスターベーションにはまる思春期の子? 佐々木俊尚さんは 「グーグルは永らく「身内」だった」 と書かれているが, ネットでわざわざ駄々をこねる人は, いまだに Google を「身内」だと思ってるんじゃないだろうか。 もちろん Google は企業であり(私たち消費者から見れば)「よそ者」であり完全なる他者である。 企業の倫理はバランスシートの上に構築される。 企業の信用は法令によって担保される。 企業と消費者の間にはツーもカーも存在しない。 「「Googleが」法律を守っているかどうかなんて、正直どうでもいい話なんだよ」 などとのたまう人もいるが, そういう口上を述べる人を日本では「やくざ」と言う。

ついでに書いてしまうが, 現時点で GSV が日常生活のセキュリティ・リスクを大きくすることはない。 空き巣や(車やバイクなどの)窃盗を行う人たちは人目と時間を気にする。 侵入する家が通りから見えにくいとか, 家人の生活パターンとか, 近所の様子とか, そういったものから総合的に判断する。 GSV 程度の画像でそれを判断するのは無理というものである。 現状では, これまで言われている空き巣等のセキュリティ・リスクへの対策以上のものは必要ない。 現実的でない脅威に対応しようとする(対応するふりをする)のはセキュリティ・リスク・マネジメントの観点から最もやってはいけないこと(かつセキュリティ対策企業がよくやるマッチポンプ広告)のひとつである。 ましてや「偶然撮影された裸体を全世界に公開される」ことはリスクでもなんでもない。 定量的に評価できないものはリスクとは呼ばないし, 定量的に評価できないものをトレードオフなどできるわけがない。 この方は件の本のいったいどこを読んだというのだろう。 甚だ疑問である。 なお, 今は問題なくても将来的にリスクが変わることはありうるので油断してはいけない。

GSV に対する反応は色々あるが, 極端に言っても「GSV 便利だし別にいいじゃん」と考える人と「気持ち悪い」「無礼」と考える人くらいだろう。 しかし両者の差はたかだか文化的差異の問題であり, 文化的差異は市場社会のもとに包摂される。 そして企業はその市場社会を駆動するエンジン(のひとつ)である。 「文化的差異は市場社会のもとに包摂される」ということは, その差をもって善悪の判断はできないということだ。 Google は evil なことをしないことをモットーにしているそうだが, ここでいう evil は, あくまで企業倫理に照らした自己評価であることを忘れてはいけない。

もし, GSV を止めさせたい(または活動規模を縮小させたい)と考えるのなら, 企業倫理の上から圧力をかけるべきだ。 すなわち, 消費者との合意の上で GSV を運営していくことはコストに見合わないと思わせるのである。 以前も書いたが, GSV のポイントは 「ちゃんとフィードバックが働いているかどうか, 公開される画像に対して(プライバシーを晒すような)意図的な選択が行われていないか, あるいは自動処理されるぼかし等が正しく機能しているか」 といった点を監視していくことである。 どうも最近伝え聞く話では, その辺がちゃんと機能していないように思えるので, ツッコミ所はたくさんあるだろう。 (念のために書いておくが, Google には毎日新聞に対してやったような動員戦術は通用しないと思うぞ)

Google の目的はハッキリしている。 それは「世界中のあらゆる情報をグラフ化する」ことである。 その情報はネットの中にあるものだけではなくリアルの世界にある情報も同等である。 だから Google は紙の書籍をスキャンしようとするし, 街並みの全てをも「スキャン」しようとしているのである。 紙の書籍をスキャンする際には著作権という縛りが存在する。 街並みをスキャンする際にもプライバシー権や肖像権等の縛りが存在する。 日本の場合, それ以外にも様々な問題がありそうである。 そういった問題をちゃんと「言語化」していかないと Google や他の「よそ者」には決して伝わらない。 GSV の “問題” として個人的に関心があるのはこの点である。

かつて「環境問題」は存在しなかった。 近代以降, 先進工業国が外部化していったリスクやコストを自分たちの側に引き受けること(つまり社会的責任)によって, はじめて「環境問題」は顕在化し「言語化」されていったのである。 同じように GSV にも内在する「言語化」されない問題があるように思えるのである。

さて, これからどうなるやら。