私も「原子力発電所のことについて...」

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知り合いが「原子力発電所のことについてちょっと書いておくか」という記事を書いていたので,私も便乗して書いてみる。 前回「「揺れる原子力の将来」を読む」という記事を書いたが,そちらと併せてどうぞ。

前回は「日経サイエンス」の記事を紹介するという趣旨だったので私自身の考えは最小限にしていたが,今回は私自身がどう思ってるかを前面に出してみる。 とはいえ,私はその筋の専門家ではないし知っていることもそれほど多くないので,妥当な内容であるか非常に怪しい。 その辺を割り引いて生暖かい気持ちで読んでいただければ幸いである。

そういえば,私の実家は島根県松江市(県庁所在地)にあり,近くには中国電力の島根原発がある。 福島第一原発の事故の後,親と以下のようなやり取りをしていた。

私:島根原発が今回みたいな事故起こしたら松江も避難範囲に入るよねぇ
親:そう。多分みんな雲南くらいまで避難しないといけないだろうねぇ
私:そうなったらうちはどうするの?
親:そうなったら広島に引っ越すから,よろしくね
私:(...やれやれ)

まぁなんちうか,昭和の人はたくましいw

前回の記事で福島第一原発の事故がどのようなものか紹介したが,これを一言でまとめるなら「福島第一原発(または広く日本の原発)はリスクに対して半分しか対応していない」点が問題だったと言える。 つまり「事故を起こさない」あるいは「自然災害を被らない」よう設計されていはいるが「災害を被ったとき」「事故が起きたとき」に対する備えがまるでできていないのだ。 両方できてはじめてリスクに備えていると言えるのであり,両者のバランスを如何にとるかがリスク管理である。 何度も言うが,優れたシステムとは,失敗しないシステムではなく,上手に失敗するシステムである。

であるなら,今回の事故は天災というより人災に近いものであって,それゆえに対処は可能であると考える。

個人的な意見を言わせてもらうなら,私は原発は「あり」だと思う。 現在のものを無理に縮小する必要はないし,必要であれば新規に建設するのもありだと思う。 ただし,それにはいろいろと条件がある。

まず,今回の事故について徹底した調査を行い「未然防止」の対策を行うこと。 「再発防止」などあたりまえ,大事なのは「未然防止」である。 これは原発そのものもそうだが,原発を取り巻く行政についても同様である。 自民党時代にも言われたことだが,とにかく日本は危機管理が弱い。 まぁ政権政党として未熟な民主党がうまくやれないのはある程度折り込み済みだったが,今回の事故を教訓にしっかりした体制を作って欲しいものである(←ちょっと投げやりな言い草)。

次に,原発周辺の住民や自治体と徹底したリスク・コミュニケーションを行い,合意を得ること。 どうも政府や電力会社はリスク・コミュニケーションを「説得」や「啓蒙」や「宣伝」のことだと勘違いしているんじゃないだろうか。 確かに「説得」や「啓蒙」はリスク・コミュニケーションの手段のひとつだが,それだけではダメで,リスクを受容する人たちとの間できちんと「合意」が形成されることが重要である。 ましてや「札束で頬を叩く」ような真似は断じて許されない。 この辺の構造は沖縄の米軍基地問題と相似形だと思う。 原発は莫大な利権である。 私たちはそういった利権に押し切られないような知恵と力をつける必要がある。 これは新しく建設する原発だけではなく,現代稼働中(点検中のものも含めて)の原発についても同様である。

しかし現実的には新しく原発を建設することはほとんど無理だろう。 福島県知事は脱原発の姿勢を示したそうだが,無理からぬ話である。 今まで安全性ばかりを強調し正しくリスクを示さなかったのだから,これはある意味,政府や電力会社側の自業自得と言える(大阪府知事のはパフォーマンスにしか見えないがw)。 アメリカでは,今でこそ原発の建設ラッシュだそうだが,これまで25年以上もの間,新しく原発が建設されることはなかったらしい。 それだけ原発は難しいのである。

(ところで,アメリカの原発は当然テロにも耐えられるよう(少なくともこれから建設されるものについては)設計されているが,日本ではそういう話はあまり聞かない気がする。 今回の事故で分かったのは,外部電源を切断してしまえば,原発が稼働中だろうがそうでなかろうが,簡単に危機的状況に陥るということだ。 こんな安直なターゲットはないよねぇ)

更に言うと,現在の電力会社は「発電」と「送電」に分社化すべきである。 これは菅政権で提唱され野党自民党が反対姿勢を示しているが,是非やっていただきたい。 しかし,もちろんこの分社化にもリスクはある。

2000年から翌年にかけての「カリフォルニア電力危機」を覚えている方は多いかもしれない。 これは「電力自由化」の弊害として有名であるが,電力会社を分社化し更にその先の「電力自由化」を見据えるならば,当然起こり得るリスクである。 ただ,電力の過剰供給を抑えるとか,新しい(いわゆる「再生可能エネルギー」の)発電会社の参入を促すとか,リスクを上回るベネフィットはあると思う。 (ただし菅政権がそこまで考えて電力会社の分社化を考えているかは怪しいが。 もしこの考えを推し進めていくなら「エネルギー省」みたいなのが必要になるかもね)

原発の将来について考えることは,原発の是非だけを問うことではなく,もっと広くエネルギー政策について考えることである。 文明が進む限り電力需要は増大することは分かりきっている。 でもその代償として CO2 排出による地球温暖化や原発による放射線リスクなどの様々な環境問題を抱えている。 今まではそういったリスクを「外部化」することで見ないふりをしてきた。 しかしこれからはそういうわけにはいかない。 文明の歩みを止めずに,かつ持続可能な社会を構築していくにはどうすればいいか考えていかなければならない。 その上でやっぱり原発が必要だというのならやればいい,と私は思う。

最後に,放射線リスクについてちょっと書いておく。 原発事故でよく聞くのが「リスクでは分からない不確実なものがある」という物言いだ。 しかしリスクというのは不確実なものを科学的に扱うための武器である。 そして放射線被爆の問題は間違いなく「リスク」として取り扱うべき分野である。

というわけで,以下の記事を紹介する。

保健物理については全く疎いのでこの記事を鵜呑みにするしかないのだが,保健物理が「放射線というのは純粋なリスクであり何としても避けなければいけないもの」ならば,それはリスクではなくハザードである。 つまり医療と保健物理のアプローチの違いはリスクとハザードの違いであると言える。 もう一歩踏み込んで言えば「例の20mSv問題で涙の辞任をした」小佐古敏荘教授と「100mSv」の話で一部で叩かれている山下俊一教授の違いもそこにある。

日本医学放射線学会が6月2日に行った声明では以下のように述べられている。

「放射線はそのイオン化作用でDNAに損傷を与えるので、放射線量の増加に伴い、がんなどの確率的影響が発生する危険性も増加する。 しかし100mSv以下の低線量での増加は、広島・長崎の原爆被爆者の長期の追跡調査を持ってしても、影響を確認できない程度である(ICRP Publ. 103, 105)。 原爆被爆では、線量を一度に受けたものであるが、今回は、線量を慢性的に受ける状況であり、リスクはさらに低くなる(ICRP Publ.82, 103)。 そのため今回の福島の事故で予測される線量率では、今後100万人規模の前向き研究を実施したとしても、疫学上影響を検出することは難しいと考えられている。 日本人のがん死が30%に及ぶ現代においては100mSv以下の低線量の影響は実証困難な小さな影響であるといえる。」 (via 原子力災害に伴う放射線被ばくに関する基本的考え方

放射線被曝の問題はハザードからリスクへステージが移ってるんだと思う。 それは広島長崎の原爆被害の調査の成果であり,チェルノブイリ事故の調査の成果でもある。

原爆被害にあった方々には原爆手帳が交付されているが,今回の原発事故で被曝(特に内部被曝)された方にも同様のものを交付して医療上の優遇措置をすべきではないかと考える。 その上で長期(30年くらい?)の追跡調査を行うべきだろう。 (まぁそれによって差別を受けるようだとまた拙いんだけど)

その他,参考までに:

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日経サイエンス 2011年 07月号 [雑誌]
日本経済新聞出版社 2011-05-25
評価

Newton (ニュートン) 2011年 07月号 [雑誌] 日経サイエンス 2011年 06月号 [雑誌] 日経サイエンス 2011年 08月号 [雑誌] Newton (ニュートン) 2011年 08月号 [雑誌] 朝日新聞縮刷版 東日本大震災 特別紙面集成2011.3.11~4.12

by G-Tools , 2011/06/29