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Street View のアレ

ブログにまで書くことかどうか悩んだけど, 面白いテーマだし覚え書きとして残しておくことにする。 いわずと知れた Google Map の Street View のことだ。

個人的には, これを「プライバシー問題」として捉えている点が気になった。 Tumblr でのやり取りを見てもそう考えている人は多そうである。 (特に日本では)プライバシー(権)自体がかなり微妙な問題なのに, 何の注釈もなくそう言いきってしまうというのは危険ではないのか。

先に上げた記事ではこのように書かれている。

「 撮影地点については、 「撮影する道路は公道からに限っており、 私道や敷地内に入っての撮影はしていない」と説明。 また、映っている人の顔については自動認識によりぼかし処理を行っており、 米国では車のナンバープレートなどについても一部処理を行っているが、 日本では解像度の問題でほとんど識別できないと思われるため、 現時点では顔以外には自動的な処理は行っていないとした。
 ただし、 こうした処理が完全ではない場合もあるため、 問題のある画像については報告してほしいと説明。 また、 報告用のページでは、 プライバシーに関する画像として「人の顔」「ナンバープレート」「自宅」といった項目が設けられており、 自宅の画像が公開されたくないという要望についても、 メールのやりとりなどで確認が取れれば対処していくとした。」

つまり, こうしたフィードバックを含めた全体が Street View のサービスであることは頭に入れるべきだ。 (実際に削除された画像もあるようだ)

ところで Street View が収集している路地の写真にプライバシーの問題があると考える根拠としては, 「家(の中)を撮られる」ことに対する嫌悪感があるらしい。 もちろん, 自宅等の写真の中にプライバシーに関する情報が写り込むことは考えられる。 しかしこの場合でも Google に申請して削除してもらうことは可能だし, そもそも「嫌悪感」の矛先はそういった個々の事例に関するものではないらしい。 これについては以下の記事が分かりやすいだろう。

以下に一部引用してみる。

「ところが日本の都市部生活者は逆で、 家の前の生活道路、 いわゆる路地のほうが感覚的には自分の生活空間の一部、 庭先なのです。 日本の都市部では、 家の前の公道を掃いたり、 打ち水をしたり、 雪かきをしたりするのが居住者のつとめとされています。 下町を歩いているとよくわかるけれど、 家の前の路地に鉢植えとかちょっとした物置とかをはみ出して置いてあるのもその感覚の表れです。」

たぶん私が田舎出身だからそう思うのかもしれないが, 路地が生活空間の一部というのには共感できるが, それがプライバシー問題と直結するとは思えない。 なぜなら, その「生活空間」はご近所等の地域コミュニティの共有空間であって私的空間ではないからだ。 喩えるならそれは古い家にある「土間」と同じ。 土間は家の中に作られているけど, 実はご近所の人たちとの共有空間の一部になっている。 たとえ家人が留守であっても, 近所の人が土間に入り込んでお茶してるなんてのは日常風景であった。 つまり, その「生活空間」に入ってくる Street View という「異物」は私的空間を侵すものではなく, ご近所という共有空間を侵してくる。 これはプライバシーの問題とは思えないけど, (もしかしたら)日本特有の密な空間とその外部との関係について議論するきっかけになるんじゃないかと興味を持っている。 それはおそらく日常のセキュリティ管理にもインパクトを与えるはずである。

もっとも私は, この件を都市部よりもむしろ地方の町村に特有の問題だと思っていたが, 上述の引用を見る限り, 認識が甘かったようである。 田舎に比べて「異物」としての他者が「生活空間」に入り込むことが普通になっている都市部(先日の秋葉原で起きたアレなど典型的だろう)では, 多くの人が物理的にも私的空間の情報を外部に漏らさないような対策(防犯対策もこれに含まれる)を行っているものだと思っていた。 これはこれで非常に興味深い。

もうひとつ, 私自身は思ってもみなかったのだが, Tumblr を眺めていて興味深いと思ったのは, Google という企業そのものを「悪(evil)」とみなす言説である。 例えば以下の記事など典型的だろう。 (といっても, この記事は皮肉かマジか判りかねるところがあるので, 例としては適切ではないかもしれないが)

しかしこの記事には誤解がると思う。 もちろん「社会」における個々のプレイヤーの中には(他者も含めた)プライバシー(権)と引き換えに利便性を得ようとする人もいるかもしれないが, プライバシー(権)は決して利便性とのトレードオフの対象になるものではないし, そうすべきではない。 この記事で言う「管理社会」がどのようなものか。 以前の記事でもちょっと紹介したけど, 今読んでいる 『排除型社会』 の中で「保険統計主義」という言葉が出てくる。 少し長いが以下に引用してみる。

「後期近代社会における社会統制の基調にあるもの、 それは「保険統計主義」である。 すでにみたように〔第2章の表2-2(一一九頁)〕、 ここでは正義を追求することよりも被害を最小限にすることが求められている。 そして犯罪や逸脱の原因を探ったところで犯罪という社会問題は解決しないとみなされている。 保険統計主義の中心にあるのはリスク計算である。 それは精度の高い確率論的解析であり、 そこで注意が向けられるのは問題の原因ではなく、 その問題が起こる蓋然性である。 保険統計主義にとって重要なのは、 正義ではなく、 被害の最小化である。 それが目的とするのは、 世界から犯罪をなくすことではなく、 損害を最小限にする効果的手段である。 それが追求するのは、 ユートピアをつくりだすことではなく、 敵意に満ちたこの世界に塀で囲まれた小さな楽園をできるだけ多くつくりだすことである。」 (p.170)

ここで最初に引用した Google の説明を読み返して欲しい。 そうすれば, 少なくとも Street View に関しては, Google の態度が保険統計主義の観点から「悪」ではないと言えると思う。 もちろん, だからといって「Google は善だから全然 OK」と言ってるわけではない。 そもそも管理社会の基調である保険統計主義は今ある事象に対して善か悪かを論じることに意義を見出さない。 移ろいゆく状況を評価してリスクを最小化しベネフィットを最大化するポイントを探っていくだけである。

言い方を変えようか。 「安心社会から信頼社会への移行をグーグルが強制している」 という意見もあるようだが, その人(または集団・組織)が信頼できるかどうかということはもはや問題ではなく, 社会的に信頼を担っている人(または集団・組織)がその役割を果たしているかどうかが問題なのである。 今回のケースで言うなら, ちゃんとフィードバックが働いているかどうか, 公開される画像に対して(プライバシーを晒すような)意図的な選択が行われていないか, あるいは自動処理されるぼかし等が正しく機能しているか, といったことを厳しく監視していくことには意義があると思うが, システムそのものに対する「気持ち悪い」とか「無礼」とかいった批判は, もはや効力をもち得ないと思う。

(8/10 追記)

「グーグル・ストリートビューに儀礼的無関心を求めるのは筋違い」 を読んで知ったのだが,

「東京防犯センターの斉藤明広代表はJ-CASTニュースに対し、「ストリートビュー」の登場によって犯罪が増加するかは不明との見方を示した上で、
「侵入犯罪に使われる可能性は十分にある。侵入しやすい地域や逃げ道をある程度把握することができる。(侵入犯にとって)物色するのには便利だ」
と指摘している。」
何でも見れちゃう「ストリートビュー」 ドロボーの物色に「悪用の危険性」

とかいう意見があるらしいが, 防犯上の弱点が見えたからといって「見える」ことを非難するのは, セキュリティ管理上の観点から最初の1フィートで間違ってる, と指摘しておこう。 ここでやるべきことは弱点の補強である。 空き巣等の犯罪者は人目と時間を気にする。 ポイントを抑えた防犯対策を施しておけば, Street View から見えようが見えまいが関係ない。 この「東京防犯センター」とやらはホンマに大丈夫なのか?