2005年05月01日

☆ 「Plants」

以前, 向うの Weblog で友人にもらったカプセル入りの多肉植物を紹介したが, これについて「物欲だらけの怠惰な日々」で情報をいただいた。 確かに私が持ってるのはマツバボタンのようです。

牡丹みたいな花が咲くのかぁ。 頑張って育ててみよ。 でも私はシーマンを餓死させたことがある(1999/09/02)からなぁ。

☆ 「Flickr's Creative Commons area back」

私がサインアップした時は既に機能していなかった CCPL による検索機能が復活している。 ちなみに私は一番緩い Attribution License で公開している。

☆ p2p 理解への端緒?

ようやく『クリエイティブ・コモンズ』[bk1] 読了。 とても勉強になった。 特に私の場合, 「デジタル創作物」の話や 日本版 CCPL の(特にドラフト公開後の)議論については全く把握できていなかったので助かる。 私が間違いや勘違いをしていたところもたくさん見つかったし。 拙文もそろそろ直さなきゃね。

で, 特に印象に残ったのが p.137 あたりの文章。

「なぜなら、 アナログ時代には有体物の流通無くして著作物が流通することは不可能なので、 最低でも物流業者としての仲介業者が必要であった。 デジタルになると、 この部分が要らないからである。 peer-to-peer (p2p)技術の発展は、 このことを顕在化させている。」

ここで書かれている p2p は, 私が今まで理解していた P2P ではない。 著作者と利用者の区別が無くなること。 プロバイダとコンシューマの区別が無くなること。 プロトコルにおいて「上り」と「下り」の区別が無くなること。 そして全てのノードが「peer」となってフラットかつダイレクトに繋がってしまうこと。 こういった思想や現象を全て引っくるめたものが p2p であり, p2p 思想を肯定的に実装したものが「p2p 技術」なのかもしれない。 そう考えると(私が今までそう理解してきた) P2P アーキテクチャや最近 p2p 界隈でさかんに語られる様々な要素技術は, 単なる実装の問題であり p2p の本質を語ったものではないということになる。

私の理解は正しいだろうか。 少なくとも p2p の端っこは掴めているだろうか。 まっ, のんびりやろう。 先は長い。

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2005年05月02日

☆ Wikimedia Commons [Code]

厳島神社について調べてたら 「ウィキメディア・コモンズ」 なるものがあることに気づいた。 ちなみに厳島神社に関するウィキメディア・コモンズのページはこちら

ライセンスに関する説明をざっと読むと, ウィキメディア・コモンズ自体は具体的なライセンスを強制せずポリシー(パーミッション情報)を示すのみのようである。 例えば GNU の GPL や CCPL の by および by-sa に相当するライセンスであれば OK らしい。 私が Flickr で公開している写真は CCPL の by ライセンスなので(ShareAlike ではないので) NG。 (5/25 追記: これは私の勘違いらしい。 ShareAlike はなくてもよいようだ)

そういや OSI では承認ライセンス削減に向けた動きがあるらしい。 これもまぁ自然な流れなんだろう。 うまくいくのかどうかは分からないけど。 例えば, 全く同じ内容でも準拠法が違えば異なるライセンスになってしまうのは iCommons の経験が示す通りだし。 (参考: 「ライセンスが多いのはそんなにまずいか」 -- ただし私としてはライセンスがインセンティブを与えるという考え方には今だに懐疑的だが。それは日本のお家芸である「箱もの行政」と同じ発想)

ライセンスについて何を採用して何を却下するのかはケースバイケースであり, 一律に決めるのは難しそうである。 ウィキメディア・コモンズのようにプロジェクト・サービスごとにパーミッション情報を与えてそれに合致するものはとりあえず受け入れる, とする方がシンプル。 となるとライセンスを設定する方も受け入れる方も両方共通で使える(パーミッションを示すための)「言葉」が必要になる。 その点 CCPL のディジタル・コードはいい線いってると思うけど, 海外では RDF は今ひとつ評判がよろしくないので, 別の言葉を探さないといけないかもしれない。

まぁでも, 日本の場合はそれ以前の状況なわけだが...

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2005年05月03日

☆ 敗北からの逃避

「ネット上の喧嘩」の話からとりとめなく書いてみる。 いつにも増して非生産的な話なので読まなくてもいいです。

喧嘩ってのはリアルだろうとネットだろうと同じで, 「勝つ」ための方法はたった3つしかない。 (それは敢えてここには書かないが)更につきつめていくと, 競争や試合は喧嘩とどう違うのって話になってくる。

思いっきり乱暴に書くと, 競争や試合ってのはあらかじめルールが設定されている。 ものによってルールの詳細は異なるだろうが内容は同じ。 それは「勝利条件」だ。 対して喧嘩というのはルールが設定されない。 ルールが設定されないということは勝利条件も設定されないということだ。 だから「ここまでやれば勝ち」とはならない。 しいて言うなら「相手を消去」すれば喧嘩そのものが不成立になるので勝ちと宣言できるかもしれない。 (もっとも相手がいないのなら宣言することに意味はないが)

言い方を変えよう。 競争や試合ってのは「勝利に向かう」行動であり, 喧嘩というのは「敗北からの逃避」行動なのである。

と, ここまで考えて「どっかで聞いたことのある話だなぁ」と思い出したのが「負け組」のロジック。 「負け組」のロジックも実は勝利条件が設定されない。 あるのは「負け組」の幻影からのひたすらな逃避だ。 そこに大きなビジネスチャンスがある。 ポイントは「負け組からの脱出方法」は提供するが決して(少なくとも手に届く範囲での)「勝利条件」は提示しないことである。 そうすれば「負け組」な消費者は無限に消費し続ける。 おいしい〜!

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2005年05月05日

☆ しまった

昨日の記事, 5/3 付けで書いちゃった。 まぁいいや, 直すのメンドくさいし。

連休中は曜日感覚も日付感覚も狂うので大変。 おそらく週末までは狂いっぱなしだろう。

☆ 仕事が...

一度でいいから GW をフルに休んでみたいものである。 昨年も1日きりだったし。 まぁ前半休めただけでも今年はマシだったといえるかな。

せっかく「Theme park & Amusement park」に招待していただいたので, 今年は一枚くらいフラワーフェスティバルの写真を撮ってみようかなと思ったのだが, あの人ごみを見て挫けてしまった。

今は職場の関係で通勤経路上にフラワーフェスティバルの会場があるのだが, 今年も身動きとれないほどの人の海。 私は人ごみに酔う体質で見るだけでも我慢できない。 祝日でお祭りなんだから紙屋町から大手町あたりまで全部ホコ天にしちゃえばいいのに。 平和大通りの狭いエリアにカエルの卵みたくびっしり人で埋め尽くされている様子はかなりおぞましいぞ。 親は「一度でいいから連れてけ」というが, まっぴら御免である。

今度機会があったらマリーナ HOP でも行ってみよう。

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2005年05月06日

☆ Firefox から EXIF 情報をみる

「おおっ凄い」 と思って早速試してみたのだがプロパティからは何も表示されない。 う〜む, ひょっとして日本語版じゃダメなのか? 残念。

☆ 誰へとはなしに愚痴を書いてみる

そんなに私等「職業エンジニア」を「35歳定年」に追い込みたいんかね。 悪意があるとしか思えん。 40や50でバリバリやってる優秀な職業エンジニアはいくらでもいらっしゃるっちうねん。

私だって確かに35歳を前にフリーになったけど, 別に「余生」や「第2の人生」を送ってるつもりはないぞ。 「残り時間」は意識するようにはなったけどな(もっとも35歳でようやく「残り時間」を勘定し始めるんじゃ遅すぎるんだが)。 そもそも「定年」という言葉からして「組織」への従属の発露だし。 「定年」というタイムスケールでしか想像の行き届かない人が他者を語るなどちゃんちゃらおかしい。

あぁ, 筒井康隆さんの「定年食」を思い出しちゃったよ。

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2005年05月07日

☆ 広島では滅多にないことだが

今日の空は抜群の透明度。 なので思わずカメラを空に向けてしまうのです。

☆ 「はてなブックマーク」のお気に入り

「はてなブックマーク」のお気に入り機能。 気がつかなんだ。 早速登録して RSS を使って bloglines でトラッキング開始。 便利便利。 del.icio.us みたいにキーワードと組み合わせて登録できれば更に便利なのに。

いやぁ, del.icio.us には Inbox 機能があるのに, 何で「はてなブックマーク」はやらないんだろうと思ってたのよね。

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2005年05月08日

☆ まぁこの辺が...

まぁ, きっとこの辺が落とし所なんだろう。 個人ではなく組織の問題なら個々の構成員の振る舞いをいちいち論ってもしょうがない。 彼等はシステムに組み込まれた部品の一部なんだから。

しかし毎度の事ながらマスコミの報道はしょうがないなぁ。 あれじゃ魔女狩りだよ。 確かに喜怒哀楽の感情に直接訴える方が視聴率を稼げるかもしれないけどさ。 「泣けるドラマ」や「笑えるバラエティ」と同じく怒りの感情を報道によって処方されているだけ。 私にそんなサプリメントは必要ない。

まぁ後は, いかに日本人がリスク経営(Risk Management)が下手くそかってことを改めて露呈したということかな。 事後についても個々の要因をリスクではなくハザードとして排除しようとしてるし。 こんなことでは何時までたっても安心や安全には辿り着けないよ。

(5/9 追記)

☆ クリップ記事のピックアップ -- GW 編

del.icio.us にクリップした記事 で私以外に2人以上からブックマークされている記事を列挙してみる。 まぁすぐに飽きて止めちゃうかもしれないけど。 取り敢えず GW 期間中(4/29 - 5/7)のクリップから。 時事ネタばかりクリップしているわけではないのであしからず。

日本語の記事は日本語圏の人しか読まないのでカウント少なめ。 del.icio.us だとポピュラーな記事は3桁当たり前で注目度が高いものは平気で4桁いっちゃうし。

☆ Shinto Shrine

遺跡や神社などは好きなのでいくつか写真をアップしているわけだが, 「Shinto Group にアップしてくれん?」と誘われたので参加してしまった。

でもなー, 厳島神社は「神道」って感じじゃないんだよなぁ。 神仏混淆が進んだころに造られているので, 松江で少年時代を過ごした私としては「こんなの神社じゃなぁい」って感じ。 だから, 厳島神社は確かに Shrine には違いないけど Shinto Shrine かって訊かれると「?」マークがついてしまうのだ。

まっ, でも, そんなこと言いだしたら日本の殆どの神社に「?」マークがついてしまうのだけど。

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2005年05月09日

☆ ふ〜ん

だぁ! 読みにくい。 これ卒論用にかさ増ししてるけど, 多分 1/3 くらいに圧縮できる内容だよね。 ちゃんとダイエットした内容で読んでみたいな。

ゲームミュージック方面は知らんからなぁ。 某お方の影響で MIDI と言えばクラシカルかミニマルミュージックだし。 卒論を読む限り MIDI かどうかは実は大した問題ではなくて「ゲームミュージック」というジャンルがどう消費されてきたかということのような... つまり「終わった」のは「ゲームミュージック」の方なのでは?

やってる人は(JASRAC のやり口の是非は別として)ちゃんと許可をとって公開してるしねぇ。 クラシカル方面なら期限切れてるものも多いし。 (もっとも第二次大戦期間を著作権保護期間にカウントしないこともあるらしいので気をつけないといけないんだけど)

☆ 「はてなブックマーク」の使い方

道具というか形式にこだわってしまうのが日本人らしいというか...

「はてなブックマーク」を Folksonomy だと思わなければいいだけじゃん。 Folksonomy にこだわりたいなら「はてなブックマーク」以外にいくらでも選択肢はある。

私の場合, タグの選択にはあまり悩まなかった。 del.icio.us ではタグの選択に悩んだ時は popular tags から探すことにしている。 それでもしっくりこない場合は自分で適当なタグを付ければいいのだ。 extended 項目もほとんど使わない。 description (大抵はページのタイトル)を見て内容がピンとこない場合にだけ補足する程度。 これは紙にメモを書く行為と同じで, ページをクリップしタグを付加していく過程で内容そのものを憶えてしまうのだ。 後から該当記事を探す場合は日付とタグと description を手がかりにすれば大抵見つかる。 超整理法と同じ原理ですな。 自分がクリップしていない記事を検索する場合でも, popular tags から自分の関心領域に近いキーワードを選べば大概ヒットする。

でも「はてなブックマーク」の場合はそういう使われ方じゃない感じ。 ある記事にどういうキーワードが付加されているのかは比較的どうでもよくて, その記事に誰がブックマークしているか, あるいは何人がブックマークしているかが注目されていたりする。 これって日記の referer 表示機能に似ている気がする。 日記の referer 表示機能は自分の記事に関するアクセス履歴を解析・表示しているが, 「はてなブックマーク」の場合は任意の記事についてユーザが「参照してますよ」と自己申告したものを集約・表示しているわけだ。

こういうことが可能なのは「はてな」が緩いコミュニティを形成しているからこそだと思う。 関心領域がまるで異なる赤の他人同士が集まるサービスでたまたま注目を集めた記事があるとしても, それが「自分」にとって面白い(あるいは有用な)記事であるとは限らない。(っていうかない方が多い)

逆に言うと「はてな市民」でない外部の人から見れば「はてなブックマーク」は使い勝手の悪いただのブックマーク集にしか見えないということだ。

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2005年05月10日

☆ はてな RSS

素晴らしいタイミング。 ちょうど Bloglines がコケてる間の予備系を探していたのだ。 というわけで早速作成。

いよっしゃ。 これで一安心じゃ。

しかし... 何故 OPML からインポートできるようにしない! ひとつづつ登録するのに疲れちまったぜ。 あと前にも文句を書いたけど「All Rights Reserved.」は止めてくれ。 著作権を主張するなとは言わんが, 「All Rights Reserved.」という言葉の意味するところをちゃんと考えてほしい。 いくらβ版だからって許されるものではない。 全てのページから「All Rights Reserved.」を削除して利用規約とプライバシーポリシーへのリンクを張るべし。 いい加減ちゃんと「企業」として振る舞えんのか。

もし仮に「はてな」が「Wisdom of crowds」を指向するのなら, こういう基本的な部分をきちっと押さえないとダメ。 集約される Wisdom を(某 blog サービスのように)全部自分のところでガメるというのなら別だけど。

☆ 水出しコーヒーはじめました

そろそろ水出しコーヒーの季節。 いつもは2リットルくらいまとめて作り置きしているのだが, 水分のとり過ぎは心臓に負荷がかかるので, 今年はちょびっと(500ml くらい)ずつ作ることにした。

あぁ, でもこれでちょうどいいや。

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2005年05月11日

☆ 人やモノが集まる「相」

土地には「地相」があり, 家には「家相」がある。 インターネットにも同じく人やモノが集まり流通する「相」があるんじゃないのか。 「ソーシャル某」という言葉を聞くようになってからそんなことをぼんやり考えるようになってきた。 まぁ, 風水っぽくなっちゃうとアレなのであまり書かないようにしているのだが。

ネット上のサービスを設計する際は「人」が集まる場だけを提供してもダメ。 かといって「モノ」だけを集めてもダメ。 そういう設計では人やモノはただサービスの上を通り過ぎていくだけで「相」を形成しない。 人と人とのコミュニケーションには必ずモノ(形ある「物」とは限らない)が介在し, モノとモノとのリレーションシップには必ず人が介在する。 その関係を壊すような設計はダメな設計なのかもしれない。

そういう見方で見ると, del.icio.usFlickr といったサービスは実に絶妙なバランスで構築されている。

☆ 何の茶番?

色んな記事をつらつらと眺めてみる。

自画自賛とはまさにこのこと。

特に根拠があるわけではないのだが, いわゆる blog はコミュニケーションツールとしては終焉を迎えつつあるのではないだろうか。 少なくとも電子メール並みには使えなくなっている。

☆ プログラミングを楽しみたいなら職業プログラマにならないのが一番だけどね

あるある, こういう話。 っていうか, 私も「プロジェクトリーダより年上」と言う理由で何人か断ったことがある。 まぁでも, 昔に比べればこういった縛りは緩くなってはきている。 つか, そんな情緒的なことを言ってられる状況ではなくなりつつあるというのが正直なとこだけど。

(5/14 追記) ちなみにこれは「年功序列」とはちょっと違う。 少なくとも開発現場では年功序列の文化はとっくに壊れている。 でも私等くらいから上の年齢の人達ってのはいわゆる儒教的な躾の影響を受けてる人達。 相手の能力等に関係なく年上に対しては一応の敬意を払うように躾られているのだ。 三つ子の魂百まで。

☆ 車載用コンピュータ

車載用 Bluetooth システムにアタックを仕掛ける実験。 クラックはできなかったようだが気になる記述あり。

「テストを繰り返すと再現され、さらに繰り返す (3 回目) と Prius の Bluetooth システムはクラッシュしてしまった。 ……というのは、実はバッテリ低下によるものだった模様で、バッテリを復旧すると問題なくなったそうだ。」

車載コンピュータにとってバッテリの問題は深刻で, 一般的な携帯端末のそれよりもクリティカルである。 そもそもバッテリ電圧が下がったくらいで異常動作になるのは問題だろう(普通は異常になる前に ECU をストールさせる。その方が安全だからだ)。 電圧モニタしてないのか?

また, この Bluetooth システムで相手からの通信に律義に反応している(Cabir のアタックには反応しなかったみたいだが)のも気になる。 さすがにイグニッションからキーを抜いた状態では反応しないだろうが, キーを挿していればエンジンが停止している状態でも反応してしまうかもしれない。 もしその状態で連続的にアタックを受ければ何時までたってもスリープに落ちないのでバッテリを消耗してしまうことも考えられる。

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2005年05月12日

☆ 上意下達型コミュニケーション

前にも何度か書いているが上意下達型コミュニケーションは, 上から下へはスムーズに伝達されるが, 下から上への伝達が(特に非常時には)上手く働かず滞留しやすい。 そこを勘定に入れて設計しないと「動かないシステム」になってしまう。

☆ なんで

マスコミ報道では「民間の警備会社」って言うんだろう。 違うだろ。 少なくとも日本の警備会社とは比較にならない。 ちゃんと「民間の軍事会社(PMC)」だって言えよ。 そうしないと今回の件は話が繋がらないだろう。

話題のかたは自衛隊の空挺部隊にいたのは半年ほどらしい。 その一方でフランスの外人部隊には21年間いたらしい。 要するにバリバリの傭兵だってことだな。

☆ GnuPG News Japan

Google GroupGnuPG News Japan 登場。 将来的には Yahoo! Groups の同グループから移行するらしい。

Google Group は初めて触ったが, なかなか良くできている。 参加者でなくとも Atom Feed で情報や議論を追うことが出来る。 メールアドレスは公開されずニックネームでのやりとり。 spam 投稿などに対するレポート機能もあるらしい。

もちろん Usenet も見ることができる

確かに従来のニュースリーダでは読めないかもしれないけど, Atom Feed の方が融通がきくし, これで十分。

もう RSS や Atom による Feed は必須って感じだね。 そういえば Becky! 2 で RSS や Atom を読むプラグインがあったな。 そういうのもありなのかもな。

☆ 多国語の泥沼

けっこう燃え上がってるって聞いたのでどんな凄い文章かと思ったら全然普通じゃん。

でもネットで流通してるソフトって大抵の場合は母国語(日本語に限らない)+英語くらいしか対応してないんだよねぇ(他人のことは言えないが。ゴメン,ペコン)。 何故かというと, 言語の問題は文字コードだけで完結しないから。 言語と文字コードは全く別の問題でありながらお互いに関連している。 文字コードの問題だけなら指摘されている通り UTF にしてしまえば済む話なのだが, 「多言語」に対応しようとすると途端に組版の泥沼にハマりだす。

例えば英語とアラビア語が混在するテキストを想像してみる。 それだけならまだしも, そこにカーソルを表示させようなんて思った日にゃあ気が狂いそうになる。 でも世にある多言語対応のブラウザやエディタはそんな面倒な設計をちゃんとこなしてるんだよね。 凄いと思うよ。

「島国根性」というのは確かに刺激的な言葉だけど, うまい言い回し。 ネットに国境はないかもしれないけど言語という境界は確実に存在する。

まぁでも実際のところ「文字セット」と「文字エンコーディング」の区別すらつかないようなエンジニアって意外に多いんじゃないだろうか。 私の周辺環境ではサンプルが少なすぎるので断言できないが。 例えば

「実のところUnicodeでなければならないというわけではない。別にTRONでも何でもいいし」

という部分で「分かってないなぁ」とツッコミを入れられる人がどれだけいるのかということだ。 まずはそこから始めないと「多言語化」なんて遥か遠い道のりだよ。

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2005年05月14日

☆ てぇい!

Mozilla のサイトにアクセスできない。 たしか前回もだったよな。 く○ったれ。(←下品)

ダウンロード数を自慢する余裕があるなら接続不良も改善してくれよ。

☆ 酔っぱらいの議論

今回はビンボーをこじらせてしまって禁欲生活を余儀なくされていたが, 昨夜は我慢できずに飲みに出てしまった。 まぁ行きつけの店のイベントだったし。

久し振りに常連の濃い面子が集まる。 プログラマ(私),SE,郵便局員,物流関係と職業もバラバラ。 ただしみんな年齢が近いので, つい議論はなんとなく昭和のかおりがする内容に。 メンバのひとりが先日中洲で玉砕したそうで(若いなぁ), その憂さ晴らしという意味合いもあったようだが。 まわりのお客さんはさぞかし迷惑だったであろう。

多分, 今時の若い人は先月あった中国の反日デモになんか特別興味はないだろうが(マスコミ報道みたく陰謀論をとなえている人は別として), 私等や私らより上の(「イデオロギー」がかろうじて生きてた時代に育った)年代はやはり気になるらしい。 私なんぞは反日運動より町村外務大臣の下手くそな対応に(いかりや長介よろしく)「だめだ,こりゃ」と TV に向かってツッコミを入れる程度なのだが。 (ああ言う場合は 「おたくの事情もよく分かりますし国内の問題なのでとやかくは言いませんが,日本が受けた損害の賠償はちゃんとしてくださいね」 くらいで(中国の不手際と強調する形でかつ一方的に恩を売るように)サラッと流しておけば後々外交カードに使えるかもしれないのにさ)

まぁ中国からの留学生(店員)も話に混ざってたからな。

まぁでも, たまにはこういうクロスオーバトークもないとな。 似たような人間ばかり集まっても発想が硬直してしまうし。

☆ ペルソナを使い分ける

「ペルソナ」については以前に書いたことがあるな。 「ネットと非ネット」でペルソナを使い分けてるんじゃなく, もともとあるたくさんのペルソナのうちのひとつ(あるいはいくつか)がネット上の活動にもある, ということなんだろう。 そういや 『Code』[bk1] にもこの辺の話が出てきたな。

ネット上のリスク(ハザードではない)のひとつは, たくさんあるペルソナが「名寄せ」されてしまう(かもしれない)不安だと思う。 だから SNS の持つゾーニング機能は(その不安を解消するために)必要とされているのだ。 私が仕事の話をネットに持ち込まない(愚痴は書くけど)のは, (もちろんそういう契約をしてるんだから書ける筈もないんだけど)ひょっとしたらその不安の裏返しなのかもな。

ところで, 梅田望夫さんは職業エンジニアが技術的な話をネットで議論しないのは所属する組織の体質によるとおっしゃってるけど, 私はいまだに懐疑的。 少なくとも今の日本では企業組織に対する loyalty は崩壊しつつある。 そのような状況で個人の行動とそれに対する組織の関りを結びつけるのは無理があるんじゃないのか。

上意下達型の情報伝達システムはそれなりにメリットがあるから今まで維持されているのだ。 フラットで End to End な情報伝達システムが上手く機能するのは(経営者を除いて)せいぜい30人未満の規模だろう(会社の規模が大きくなる時ってたいがい30人あたりが最初の山なんだよなぁ)。 だから重要なのは垂直型(上意下達型)か水平型(情報共有型)かの選択ではなく, 水平型のコミュニティ(グループ,チーム,セクション)同士を接続する「インターコミュニティ」のようなシステムをどう設計するか, ということになる。

「インターコミュニティ」のような考え方はこれからの「ソーシャル某」を設計する際のキーになると思う。 今のところは内部または外部の検索サービスを利用するわけだが, これだとネット上の複数のペルソナが短絡してしまう恐れがある。 アメリカのプライバシー保護団体が Google や Amazon の挙動にいちいち反応するのも名寄せに対する不安の顕れだろう。

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2005年05月15日

☆ もの知らず

へぇ。 NICT って宇宙天気予報もやってるんだ。

と, ここまで書いて何となくデジャヴを感じたので昔の記事を漁ってみたが, 書いてなかったみたいだ。 ヤバい, 耄碌しはじめてるのか。

☆ 媚びずおもねず,または環境管理型ストラテジーゲーム

お買い物。

  • 『ようこそ小豆沢美研へ!』 かつまれい(芳文社)[bk1]

カバーじゃない方の表紙に書いてある担当者のコメントに爆笑。 ってか「きらら」の読者じゃないと分からないよ, これ。 「忍者」のキーワードで連想するものが変わっちゃいそう。

で(ここから本題), ついでに GBA 版の The Tower SP を購入。 ひゃあ, 懐かしいなぁ。 と, 昔を思い出しながら早速ハマってる。 確か NIFTY-Serve のフォーラムにも Tower の会議室があったような。 いや, PATIO だったかな。 ハマったよなぁ, 当時。

そういや, あの頃って SimCity とか Tower とか流行ってたよなぁ。 今時「環境管理型権力が云々」とか言ってる人の中には間違いなくこれらのゲームの影響を受けてる人もいるに違いない, とか暴言を吐いてみる。

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2005年05月17日

☆ 「「オープンソース開発者の7割がヨーロッパ」は本当?」

ふ〜ん, そうなのか? でも確かにそんなイメージはあるかも。

個人的には GnuPG 周辺の(特に Ägypten とかの)プロジェクトは凄いインパクトあったし, Commons 的な考え方もアメリカよりはむしろ北欧, って印象がある。 (あくまで印象よ。 しかし iCommons によってヨーロッパにポーティングされた CC/CCL が今後どう進化するかは − 日本なんかよりはるかに − 注目に値すると思う)

まぁでも EU の(特に法的な面での)統合で今後はどうなるか分からないけどねぇ。

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2005年05月18日

☆ 惑星探査

どうもフェーベって聞くと「ナウシカ」に出てくるグライダーみたいなやつを連想してしまう。 ってそれはメーベだ。(病んでるなー)

それはともかく NASA やら ESA やら毎週のように成果が発表されるわけだが, それらを見るにつけ「のぞみ」の失敗が(頑張ってただけに)残念でならない。 というわけで, 来週発売されるらしい『恐るべき旅路』 [bk1] は読んでみようかな, と。

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2005年05月20日

☆ テンション上がらず

なんちうか, 平日なのに休日出勤のようなテンションの低さ。 仕事の能率も下がろうというものである。 なんとかしなきゃ。 というわけで, 今日は少しゆっくり出社することにしてみる。

友人に「顔が怒ってるよ」と指摘される。 いかんいかん。 いつも一緒に遊んでくれて, かつ的確なアドバイスをくれる友人たちに感謝。

☆ CC 関連

海外では色々動きがあるようで。

現在, 拙文を大改訂中なのだが, 一年前に比べると中身もがらっと変わってるので追いかけるのが大変。

☆ 技術の継承,コンテンツの相続

念の為に書いておくと技術と技能(スキル)は違う。 これについて多くの人(プロのプログラマでさえも)が勘違いをしているフシがある。 技術と技能は開発の両輪なので, どちらが欠けても上手く動かない。 しかし技能は形式化でき形式化されたものは「学習」することができる。 問題は技術の(学習ではなく)継承である。

今, 多くの企業がやっていることは開発プロセスそのものをフレームワークに取り込むことである。 プロセスをフレームワークに取り込み全ての工程に履歴をつけることで技術をも形式化できると考えているように見える。 しかし, 本当にそうなのだろうか。 確かにそれで救えるものはある。 「8:2 の法則」で一部の優秀な人材が他の凡庸なエンジニアを養う構図はとっくに終わった (まだそんなやり方をしているのなら真剣に身の振り方を考えた方がいい)。 しかしそれでもまだ救えないものもある。 むしろそこで救えないものこそ技術の核心なんじゃないだろうか。

なんてなことを最近はぼんやりと考えている。

「コンテンツ」についても似たようなことを以前から考えている。 ただそれは継承というより相続なのだが。 一昨年前に亡くなられた方のコンテンツを昨年末から預かっているのだが, 考えてみれば私だっていつまで生きられるか分からない。 死なないまでもネットにアクセスできなくなることだって考えられる。 その時預かったコンテンツや自分のコンテンツはどうしたらいいのだろうか。

通常は「私が作ったコンテンツ」と「私のコンテンツ」は同じである。 でももし「私」が存在しなくなれば両者は強制的に切り離される。 「私」がいないのだから「私のコンテンツ」なるものはあり得ないからだ。 では「私が作ったコンテンツ」はどこに行くのだろう。 もっと大きく考えるなら, ネットにある全てのコンテンツは最終的にどこに向かうのだろう。 この宇宙の存在自体がそうであるように, ただ終わりを迎えるためにだけに存在しているのだろうか。

...なんてな。

☆ 心と身体

ソフトウェアで人を殺すことはできますよ。 医療機器や軍事関係, 飛行機や自動車や電車だって今はコンピュータ制御だし, もちろん生活に身近な家電だってコンピュータが入ってないものを探す方が大変になりつつある。 つい先日だって電車事故でたくさんの人が亡くなられた。 「走行中にPriusが停止する問題、原因はソフトに」なんてニュースもある。 本当に優秀なエンジニアはこういう分野におられる。 人の命に関る分野で間違いは許されない。 「私が出したバグで核ミサイルが発射されてしまいました。 バグを改修したものを至急リリースしますので許してください」 では済まないのだ。 だから, たとえ数十KB〜数百KBのソフトウェアであってもたくさんの人材と時間をかけるのだ。 (そしてそこでリスク・マネジメントが重要になってくるんだけどね)

少なくともネットで交わされるソフトウェア・プログラミングに関する議論で危険だと感じるのは, ハードウェアに絡めた議論が少なすぎるのではないかということだ。 S/W と H/W の関係は人の心と身体の関係に似ている。 H/W は S/W の単なる入れ物ではない。 人の心が身体に影響を与え身体が心に影響を与えるように S/W と H/W も密接に関係している。 心がいつも自分にとって Controllable な存在だと考えるのは危険な発想である。 もっともコンピュータシステムの場合は S/W と H/W とそれを使う人の三者の関係で考えないとダメだけどね。

例えば「Hyper-Threading Considered Harmful」を巡るニュース報道を見ていても, 当初多くの人がこれを Windows など特定のプラットフォームの問題だと思っていたフシがある。 しかしニュースのさわりを見ただけでもこれがプラットフォームに依存する問題でないことは分かる筈で, こういうことからも危険な匂いを感じずにはいられない。

まぁ「オームの法則も知らずに設計するな」(昔ボスが言っていた)とまでは言わないけどね。

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2005年05月22日

☆ 雑談

昼食を兼ねてボスに状況報告。 その後の雑談で「やはりビジネス系のシステム開発はダメだね」という話になる。 とはいっても日銭は必要だから簡単に足抜けできないのが悲しいのだが。

アプリケーション開発と組込みソフトの開発で決定的に(というか絶望的に)異なっているのは「リスク感覚」である。 ある機能を組込む場合にどれだけの(コストを含む)リスクがあるか。 あるいは開発プロセスの中で発生する様々な Issue を解決するために何が必要でどれだけのリスクがあるか。 こういった基本的なことがアプリケーション開発において正確に判断できないのだ。 その結果何がおこるかというと, 営業や経営側で「欲しいもの」と現場で「できること」がどんどん乖離する。 そしてそのギャップを埋めるための唯一の方法は「努力と根性」なる体育会系の精神論だったりするわけだ (本当は管理職こそが両者の間に立ってネゴシエーションを行わなければならないのに)。 その意味でもケータイ業界は断じて「組込み」なんかじゃないよな。

おそらくコンピュータ業界以外の堅気の分野の方々は上記を見て呆れると思うが, これが日本のソフトウェア製造業の多くに見られる「現状」だ。 「設計が出来る人は管理者に、実装が出来る人は設計者になるため、実装できない人がプログラマになる」 なんてのがあるそうだが, 管理職に求められる能力はエンジニアとは別種のもので, エンジニアとしては優秀でも管理職としては使い物にならない, ということはよくある。 (業種によらず)判断と決断のできない人は管理職になるべきではない。 タフネスを要求されるのはエンジニアではなく管理職なのだ。

もっとも日本の多くの企業では管理職は専門職よりも上級だと思われているみたいなので(ありえない!), 所得を増やすために管理職を指向してしまうのは無理もないのだが。 ちなみに「社長」がコーディングをしてるような会社は先がないと断言しよう。 私はバブル時代にそういった会社が山ほど誕生しバブル崩壊とともに消え去っていくのを嫌というほど見た。 理由は簡単で, 経営者が現場に介入し過ぎると「経営判断」ができなくなるからだ。

☆ 夕食

友人と「かき船 かなわ」で夕食。 あなごすきの試食割引券をもらったそうで私も誘ってもらったのだ。 いつも私と遊んでくれる友人に感謝。

最近広島市内で出まわっている三倍体の牡蠣は「かき小町」という品種らしい。 身がおっきくて一口で食べきれない。 これを殻焼きにして食べるとウマウマ〜。 あなごすきも美味かった。 あらかじめ軽くあぶってあるので臭みはない。 最後に卵をといてすき焼き鍋に回し入れて半熟になったところをご飯に乗っければ, これまた絶品の玉子丼に。

嗚呼, 美味しいものをいただける幸せよ。

☆ クリップ記事のピックアップ − 5/8-14

del.icio.us にクリップした記事 で私以外に2人以上からブックマークされている記事を列挙。 時事ネタばかりクリップしているわけではないのであしからず。 先々週分を忘れてたので先にそちらを。

この週で目立ったトピックスとしてはやはり「Real ID Act」に関するものかな。 まぁアメリカ人にとって重要な法案なので注目されるのは当然だけど, 日本ではこの手の議論が(私のアンテナ範囲では)ほとんど見られないというのが寂しい。

他には Hyper-Threading の脆弱性に関する論文や Flickr が Ajax を採用し始めたニュースも注目を集めている。

☆ クリップ記事のピックアップ − 5/15-21

del.icio.us にクリップした記事 で私以外に2人以上からブックマークされている記事を列挙。 時事ネタばかりクリップしているわけではないのであしからず。

続いて先週分を。

わはは。 先週は忙しくて(ちなみに今週も忙しい。いわゆる修羅場), ニュースなどもほとんどチェックしていないのだが, その辺の「日常生活の都合」がクリップ数に如実に表れている。

先週の注目記事としてはやはり「補償金制度」制度の話か。 相変わらず感覚的なもの言いで申し訳ないが, 日本の著作権制度において最大の失敗はカラオケから料金を徴収することを許してしまったことなんじゃないだろうか。 カラオケで「あり」なら当然 iPod でも「あり」とせざるを得ない。 昔, 「シャワールームで「雨に唄えば」を口ずさむ度に口座から使用料が引き落とされる時代がやってくるかもしれない」などとほとんど被害妄想っぽいことを書いたが, そのうち本当にシャレでは済まなくなるかもね。

☆ ハザードとリスク

先日の 「ソフトウェアで人を殺すことはできますよ」 は妙に反響があったようで, ここではちゃんとしたアクセス解析をしていないので正確なところは分からないが, 通常よりはアクセスがあった模様。 やはり刺激的な言葉には(内容に関係なく)食いつきがいいのか?

で, ツッコミにてインターロックについて言及をいただいたので(ツッコミありがとうございます)補足しておきます。 インターロックで排除・回避できるのはハザードのみです。 リスクは(完全には)排除できません。

私もしょっちゅう勘違いするので他人のことは言えないのだが, リスクとハザードは明確に区別して議論をする必要がある。 予測可能でかつ排除・回避が可能なものはリスクではなくハザードとして考えるべき。 設計段階でハザードを取り除くのは当たり前の話で, それをやってもなお残る Issue がリスクであり, リスクを全体で最小化するよう設計するのがリスク・マネジメント(経営)である。 「全体で最小化」というのがポイントね。

「古き良き時代」の単純なシステムならともかく, 今の複雑化されたシステムで 「H/W でロックされてるから S/W では(人死にが出るような)クリティカルな Issue については考えなくともよい」 とはならないのが普通。 作用と副作用は表裏一体の存在だからだ。 自動車でさえ一台につき数十個の ECU が搭載される(そしてそれらがネットワークで連携する)時代なのだ。

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2005年05月24日

☆ 耳の痛い話

私も中国に発注かけたことあるからなぁ。 耳の痛い話。 でも, 半分くらいは私のせいじゃないもん。 「絵に描いた餅を見てこの通りに餅をつけ」と言われてつけるわけないじゃん。 まぁでも, そこを何とかするのが本当のプロなんだけどね。

☆ USB メモリを買った

仕事用。 512MB と 1GB のどっちにしようか悩んだが, 予算を1万円以内で考えていたので 512MB で決定。 ところが, その USB メモリは Win98 では使えない(デバドラがない)ことが判明。 もうがっかり。 まぁいいや, 他に使い道はあるし。

考えてみたら, USB メモリを仕事で使うのは若干リスキーなんだよな。 こういうのって消耗品だし, 少なくともケータイよりは失くしたり壊したりする可能性が高いわけで, そうなった時のリカバリをちゃんと考えないといけない。

昔はフロッピーディスクがそれに該当していたが, 今は実行モジュールも情報ファイルも大きくなっているのでフロッピーディスクのリスクは相対的に下がってしまった(フロッピーに開発環境を全部詰め込んで仕事してた頃が懐かしいよ)。 USB メモリにブラウザやメールソフトを入れて運用している人も多いと思うが(私はしてない), 失くした時のことを考えるとゾッとする。 取り敢えず USB メモリ内のファイルシステムを丸ごと暗号化するような仕掛けをつくらないと社外に持ち出せない。

☆ リスク不安とリスク・コミュニケーション

これを読んで, かつての RFID の議論を思い出した。 あれもリスク以上に「リスク不安」があったからこそ燃え上がったわけで, それらに対する説明責任は専門家の側にあるというのはもっともな話だと思う。

☆ 古酒

USB メモリを買った後, ふらふらと「てんまみち」へ。 鷹勇(鳥取のお酒)の古酒をいただく。 8年物。

天ぷらの油に負けないほどのしっかりした飲み口なのにぐいぐいいける。 やっぱ古酒はいいわ。 誰が何と言おうと世界で一番日本酒が好き。

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2005年05月25日

☆ Wikimedia Commons に関する訂正 [Code]

あ, ホントだ。 「may be required」ってなってますね(いつの間に日本語訳ができてたんだ。大助かり)。 きっと私の読み間違いですね。 ご指摘ありがとうございます。

ってなわけで, 私が Flickr にアップしてる写真を同じライセンス・オプションで Wikimedia Commons にもアップしていいわけだ。

(追記) 改めて日本語訳を見た。 フェアユースに関する記述はなかなか秀逸だと思うがどうだろう。 最近のファイル(コンテンツ?)共有サービスには皆このような記述があるのだろうか。

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2005年05月26日

☆ 文系と理系

「理系、理系といい続けることが、すでに時代遅れではないか」には激しく同意。 そういや学生時代は(私は化学科だったのだが)数学科は「理学部の文系クラス」とか言われてたし, 逆に文学部の考古学研究室は「文学部の理系クラス」とか言われてたらしい(友人談。ただしうろ覚え)。 そんなもんだよな, 理系と文系の違いって。

まぁ子供時代に学校教育とやらで理系と文系を区別(差別)するよう「教育」されちゃうわけだから, そう思ってしまうのも無理もない話なのだが。 そしてそれぞれの「権威」が登場し, 最終的には「大きなHワード」の問題にされてしまうわけだ。 sigh...

☆ 「私も被害者」的発想

実際の会見がどんなものだったか知らないが, この記事を鵜呑みにするなら「価格.com 終わったな」って感じ。 私はこのサービスを利用したことがないが, もしユーザならこんなインシデント・レスポンスを行う企業は二度と利用しない。 (例えば Netscape とか Opera とか)

確かにクラックにあったのだから企業から見れば災害にあったようなものかもしれないが, ユーザに対してそのような態度を見せてはいけないし「地震にあったようなもの」などといった発言は明らかに NG ワードだ。 何故なら一番の被害者はサービスを利用するユーザだしサービスを提供する企業はユーザに対し何らかの(そして有限の)責任をとる立場にあるからだ。 これは「企業」を「政府」や「自治体」に置き換えても同じ。

でもメールアドレス流出の補償はしないというのは英断だと思う。 個人情報の流出に対しジャリ銭をばら撒いて責任をとったつもりになっている某企業よりはるかにマシ。 ただし補償をしないと決めたのならセキュリティ・リスクに対するマネジメント(経営)ビジョンの提示と, それについて(通達ではなく)ユーザとの対話の中で合意を形成するリスク・コミュニケーションが重要になってくる。

ユーザが本当に知りたいことはそこなのだ。 企業側に過失があったかどうかは問題ではない。 「私も被害者」的発想ではユーザのセキュリティ・リスクに対する不安を増幅させるだけで何の解決にもならない。 そして, いつかの「はてな」のような騒ぎになる。

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2005年05月27日

☆ 濃くても大丈夫

タイトルに意味はない。 青木光恵さんの作品にそんなタイトルのものがあったような...

ふ〜ん, そんな議論があるのかぁ。 相変わらずアンテナ感度低いな, 私。 まぁ blog 論とか興味薄めだからな。 確かに「ブログ始めたよ」とか「ブログにしようか」という人は増えてるような気がする。 もう「ブログ」に「古き良き時代」の「Weblog」のニュアンスは残っていないのだろう。 日本でもようやく道具として独り立ちしたということなのかもしれない。

以前, いわゆる「ぱど厨」と呼ばれる子供達の生態に驚いたことがあるが, 色々観察(いや「観望」かな)してみると(そこまで「厨房」ではないにしろ)似たような現象はネットのそこかしこで発生していて, mixi の「あしあと」に対する過敏な反応や先日記事になった SNS の妙なローカルルールもその延長として考えればさして不思議なことでもなかったり。 もちろんそれは「ブログ」の使われ方にも顕れていて, 例えば Yahoo! の blog サービスにもそんな既視感がある。

「ポータル」は要る。 私のように複数のサービスを横断して利用する場合は特にそうだ。 それは日本家屋の「玄関」とか「土間」とか「縁側」とかいった意味合いではない。 「ポータル」というより「ハブ(Hub)」と言うべきものなのかもしれない。 個人的には bloglines がまさに「ハブ」的な役割を果たしている。 RSS を提供していないサービスも含めると Baldanders.info/RandomNote を基点にせざるを得ないが。

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2005年05月28日

☆ すまん,今酔っぱらってる

最近のタクシーは TV 番組も見せてくれるらしいが, 久々に気分の悪いものを見てしまった。 これは酔っぱらいの戯言だが, 差別的発言を承知で書かせてもらう。 良識ある大人なら「朝までなんとか」なる番組は見るべきではない。 ちうか見せるな!

アレこそ白痴番組の代表だぜ。 アレに比べたら NHK の「プロジェクト某」が教養番組に見えてしまう。 正常な思考能力のある「専門家」ならあんなもんに出演すべきではない。 アレは自己を貶めるだけで何のメリットもない。 そしてまっとうな思考能力のある「視聴者」はあの内容に対し, いかなるコメントもすべきではない。 何であんなものを公共の電波で放映する。 理解不能。 あんなものを放映するくらいならエロビデオの方がまだマシ。

☆ ありゃ,なんか書いてる

やっちまったらしい。 確かに「朝までなんとか」は私の嫌いな番組のワーストランクだが。 ここまで憶えてないと逆にすがすがしいな。 面白いので残しておこう。

これを読んで侮辱的に感じるかたがいらしたらフィードバックください。 消しますので。

☆ おや,おたくもですか

やな前例作っちゃったなぁ。 ケーサツの指導でも入ってるのだろうか。 日本の e-Commerce はダメダメで信用ならないってこと? 企業側に落ち度がないのにクラックされるということは防ぎようがないって宣言してるようなもんだぞ。 二度あることは三度ある。 三度あれば何度でもある。

☆ こ,これは!

  • 『原作完全版 コメットさん』 横山光輝 (講談社)[bk1]

どひー, 思わず衝動買いしちゃったよ。 封神演義ファンとしては『慇周伝説』も全巻揃えたいところなんだけど, どうしよっかなぁ。

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2005年05月30日

☆ ビールはクラシックラガーでしょ

アサヒのビールに関しては激しく同意。 思うに「スーパードライ」のせいで日本人のビールに対する味覚は著しく低下してしまったのではないだろうか。 とくに「ドライ」(あるいは「辛口」)に関する味覚。 実験用アルコールを水で薄めた(※ よい子は真似してはいけません。実験用アルコールは飲んじゃダメよ)だけのような代物を「ドライ」と称して売り, さらにそれを「旨い」といってのむ消費者の構造。

もっとも最近は私の中で「ヱビス」と「クラシックラガー」が首位を争っている。 広島市内の大抵の飲み屋さんで「クラシックラガー」を置いてくれるようになったのも嬉しい。 つかビールを注文して「スーパードライ」と「クラシックラガー」を選択させるな, と言いたい。 「ヱビス」は缶で売るようになってから味が落ちたような気がするぞ。

銘柄で「生」とか「ドライ」(あるいは「辛口」)とか付く酒類はリスク回避(笑)のためにも買うべきじゃないと主張しよう。

☆ お酒と税制

上の話の続き。

日本酒と税制については上の記事とは少しだけ考えを異にする。 というのも, 私等が学生の頃は「二級酒の方が美味い」のが常識だったのだ。 もちろん三倍醸造(アル添・糖添入りまくり)のひどいお酒の方が多かったが, 一級酒と二級酒の違いは蔵元のさじ加減一つで決まっていたので 「一級の吟醸酒より二級の純米酒の方が美味い」といったことが頻繁にあったのだ(実は当時二級の純米酒というのは存在した)。 「美味い二級酒を探す」ことがお酒の楽しみのひとつだったよなぁ, 当時。

だから税法改正で一時途方に暮れたのは私達消費者の方だったのだ。 安くて美味しい「二級酒」を常飲する人にとっては, あの改正は単なる税率アップ以上のインパクトがあった。 で, 最終的に辿り着いたのは「同じ銘柄でも飲んでみなきゃ分からない」だったりする。 まぁ同じ蔵元同じ杜氏で作っても毎年味が違うのが日本酒なんだから(酒屋で売ってるのは薄めた上にブレンドされているので違いは分からないが), この当たり前の結論に辿り着けたのは幸せなのかもしれない。

かつてのワインブームや今の馬鹿げた焼酎ブームなんか(実家のじいさまがたに言わせると今の焼酎は臭いも味もなくて美味くないそうだ。私は焼酎を飲まない人なので理解できないが)を見ていると 「頼むから日本酒では勘弁してくれ」 という気持ちになる。 嗜好品を嗜好品のまま据え置き「大衆化」の波から防いでくれる今の酒税法は悪いことだけでもないのだ。

ちなみにアル添でも美味しいお酒はある。 ブレンドの妙というのだろうか。 逆に「純米酒」とか書かれているお酒でも「なんでやねん」っていうくらい不味いのもあるよな。 日本酒は奥が深い。

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